水俣病熊本判決/救済への流れに逆行する(2024年4月2日『神戸新聞』-「社説」)

 水俣病特別措置法に基づく救済策の対象外となった144人が、国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟で、熊本地裁が原告全員の請求を棄却する判決を言い渡した。同種訴訟で、昨年9月に大阪地裁が原告全員を水俣病と認めた判決と全く逆の判断となった。水俣病の公式確認から今年で68年となる。長引く問題の全面解決をさらに遠のかせることが懸念される。

 チッソは1968年まで、有毒なメチル水銀を不知火(しらぬい)海(八代海)に垂れ流していた。原告らは熊本、鹿児島両県の沿岸部で魚介類を日常的に食べ、水俣病特有の感覚障害などを発症したと訴えていた。

 熊本地裁は25人を水俣病と認めたものの、既に20年の除斥期間が過ぎ、損害賠償請求権が消滅したと述べた。症状の潜伏期間を魚介類の多食からおおむね10年以内とし、除斥期間の起算点を発症時と判断した。


 特措法は2009年に施行され、救済策の申請は12年7月に締め切られた。しかし救済策を知らなかったり、自らの症状と水俣病との関係を疑わなかったりして、申請期限に間に合わなかった人も少なくない。

 大阪地裁が「除斥期間の起算点は原告らが(地元医師らが作成した)『共通診断書』に基づき、水俣病と診断された時で、原告らの中に経過した者はいない」と判じたのとは、あまりにも対照的だ。厳しい線引きに原告らが憤るのも無理はない。

 今回の判決は原告の8割を水俣病と認めなかった点でも、大阪地裁判決と大きく異なる。「共通診断書」の所見だけでは信用性に乏しいと判断したためだ。地元医療者は症状を訴える住民に寄り添い、大規模な検診を行ってきた。被害の実態に詳しい医師らの所見を重視しない姿勢には、疑問を抱かざるを得ない。

 一方、熊本地裁が今回水俣病と認めた25人の中には、特措法の救済対象地域外に居住していた人も含まれる。対象から外れた被害者がいる事実を改めて指摘した意味は大きい。

 水俣病関連の裁判は半世紀以上前に始まり、1973年の熊本地裁判決がチッソの責任を初めて認めた。未認定患者が増える中、95年の政治決着による一時金支給でも全面解決せず、2004年に関西訴訟の最高裁判決が国の認定基準より幅広く被害を認め、特措法につながった。今回の判決は、司法が導いてきた被害救済への流れに逆行する。

 同種訴訟は新潟、東京でも起こされているが、原告らは高齢化している。特措法は「救済を受けるべき人々があたう限りすべて救済されること」を旨とする。国は司法判断を待たずに被害者と向き合い、一刻も早く全面解決の道を探るべきだ。