「被害者救済への道閉ざす」 水俣病訴訟、原告側請求棄却 熊本地裁(2024年3月22日『毎日新聞』) 社会

水俣病訴訟での原告敗訴を受け、「不当判決」と書かれた紙を掲げる原告側代理人弁護士ら=熊本市の熊本地裁で2024年3月22日午前11時2分、金澤稔撮影
水俣病訴訟での原告敗訴を受け、「不当判決」と書かれた紙を掲げる原告側代理人弁護士ら=熊本市熊本地裁で2024年3月22日午前11時2分、金澤稔撮影

 水俣病被害者救済特別措置法(特措法、2009年施行)に基づく救済を受けられなかった熊本、鹿児島両県などの住民ら144人が国と熊本県、原因企業のチッソ(東京都)に1人当たり450万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁は22日、請求を棄却した。品川英基裁判長は25人を「水俣病に罹患(りかん)している」としたが、いずれも発症から20年以上が経過して不法行為に対する損害賠償請求権が消滅していると判断。残る119人は水俣病と認められないとした。原告側は控訴する方針。

 同種の集団訴訟は2013年以降、熊本、東京、大阪、新潟の4地裁で起こされ、判決は2件目。23年9月の大阪地裁判決は原告128人全員を水俣病と認めて国などに賠償を命じており、判断が分かれた。ただ、熊本地裁も一定の原告を水俣病と認めており、特措法による救済範囲の妥当性が今後も問われる。

 水俣病は、チッソ水俣工場(熊本県水俣市)が排出したメチル水銀に汚染された魚介類を食べた人たちが発症。1956年に公式確認され、68年に国が公害として認定した。だが、国の患者認定の基準は厳しく、中軽度の症状を訴える未認定患者の救済が問題となってきた。

 国は09年、水俣病問題の「最終解決を図る」として特措法を施行。手足の感覚障害など一定の症状があり、原則として水俣湾周辺の熊本、鹿児島両県9市町で1年以上居住するなどした人に一時金210万円を支払った。一方、今回、判決の対象となった50~90代の原告144人は特措法の救済対象地域外に居住していた人も多く、手足の感覚障害などを訴えたが、救済されなかった。

 判決は汚染状況について、メチル水銀の排出が止まる68年までは水俣湾が面する不知火海全体で「汚染が継続していた」としたが、原告がメチル水銀を摂取したかどうかは、各地域での魚介類の流通状況などから「個別に検討する必要がある」とした。

 また、メチル水銀の摂取から発症までの潜伏期間について、これまでの知見などから「約10年程度」と区切ったうえで、各原告の症状や診断記録、他の病気の可能性などを分析。119人については感覚障害に関する所見の変遷や発症時期などから水俣病とは認めず、25人のみを認めた。

 判決はそのうえで、25人について、被害拡大を防げなかった国などへの損害賠償請求権が生じたのは「水俣病を発症した時」と指摘。25人の発症時期は88年ごろより前で、不法行為から20年で賠償請求権が消滅すると定めた民法の「除斥期間」が経過していると判断し、請求を退けた。

 原告側弁護団は判決に対し、「取り残された水俣病被害者の救済への道を閉ざそうとするものであり、強く批判されなければならない」とする声明を発表した。【志村一也】

国の不作為を被害者に責任転嫁

大阪公立大の除本理史(よけもと・まさふみ)教授(環境政策論)の話

 昨年9月の大阪地裁判決では、原告が水俣病と診断された時を除斥期間の起算点としていた。これは、国が救済対象を狭く限定してきたために、多くの被害者が水俣病患者だと自覚することがなかったという現実を的確に反映した判断だった。今回の熊本地裁判決は、25人について水俣病に罹患(りかん)しているとしながらも、除斥期間の起算点を発症時期としており、国が被害者をきちんと救済してこなかった不作為の結果を被害者の自己責任に転嫁するものだといえる。原告は高齢化し、亡くなった方もいる。一刻も早く全面的な救済を進めるべきだ。

 

「全面棄却の言葉に耳疑った」 水俣病訴訟、原告らに怒りと落胆(2024年3月22日『毎日新聞』) 

判決報告集会で質問に答える原告の藤下節子さん=熊本市中央区で2024年3月22日午後2時34分、金澤稔撮影
判決報告集会で質問に答える原告の藤下節子さん=熊本市中央区で2024年3月22日午後2時34分、金澤稔撮影

 水俣病の被害を訴える住民たちが国などに損害賠償を求めた訴訟は22日、熊本地裁で原告144人全員の請求が棄却された。約68年前に水俣病が公式確認された熊本で示されたのは、原告全員を患者と認め賠償を命じた大阪地裁判決(昨年9月)と大きく異なる司法判断だった。勝訴を期待した原告らには怒りと落胆が広がった。

 判決を受け、原告団弁護団熊本市内で報告集会と記者会見を開いた。園田昭人・弁護団長(69)は、原告128人全員の勝訴を言い渡した大阪地裁判決(2023年9月)を引き合いに出し、熊本地裁判決を「被害実態を公正な目で見た大阪と正反対。本当にひどい判決だ」と批判した。その上で「ここであきらめるわけにはいかない」と訴訟を続ける決意を示した。

 今回の判決では、除斥期間(20年)を適用して請求は棄却されたものの、原告25人は水俣病と認められた。このうち24人は水俣病被害者救済特別措置法(特措法)に申請して救済から外れた原告で、園田団長は「特措法から外れた人の中にも被害者がいると認めた。救済を図るべきだと訴えていく」と強調した。

請求が棄却され、沈鬱な表情を浮かべる原告団=熊本市中央区で2024年3月22日午前11時9分、金澤稔撮影
請求が棄却され、沈鬱な表情を浮かべる原告団熊本市中央区で2024年3月22日午前11時9分、金澤稔撮影

 原告団長の森正直さん(73)=熊本県水俣市=は「全面棄却という裁判長の最初の言葉に耳を疑った。怒りを通り越した判決だ」と述べた。高校卒業後、水俣市内にある原因企業チッソの関連会社で働いた。知人の勧めで特措法に申請したが救済から外れて訴訟の原告となった。

 今も水俣病への偏見が残る地元で当初はテレビカメラに映るのも避けていたが、15年に原告団長に就任し「重篤な患者も軽症の人も同じ水俣病だ。早く解決しないと地域の再生もないと思う」。そんな思いで原告を引っ張ってきた。集会の最後に森さんは自らに言い聞かせるように語った。「勝つまで闘うという気持ちでやってきた。すべての被害者が救済されるまで闘い抜きたい」【西貴晴】

「大阪の判決は夢だったのか」水俣病の救済を巡る主な動き①

水俣病の救済を巡る主な動き②

 熊本地裁判決を受け、1審で全面勝訴した大阪訴訟の原告らも22日、大阪市内で記者会見し「大阪の判決は夢だったのか。一刻も早く解決してほしいのに、また振り出しに戻ってしまう」と訴えた。

 熊本地裁判決を受け、1審で全面勝訴した大阪訴訟の原告らも22日、大阪市内で記者会見し「大阪の判決は夢だったのか。一刻も早く解決してほしいのに、また振り出しに戻ってしまう」と訴えた。

 1審・大阪地裁判決(2023年9月)は、原告128人全員を水俣病と認定し、国や熊本県、原因企業のチッソに総額3億5200万円の賠償を命じた。国や県、チッソ側と、原告の一部が控訴している。

 鹿児島県阿久根市出身で大阪訴訟原告の前田芳枝さん(75)=大阪府島本町=は熊本地裁の判決内容を知り、頭が真っ白になったという。「裁判長は原告が偽の水俣病患者だと言いたいのか」と憤った。熊本県上天草市出身で原告の安田幸美さん(74)=東大阪市=も「私たちのことを考えた判決を出してくれると信じていたのに。一人残らず救済してもらえるまで頑張りたい」と声を絞り出した。