水俣病熊本訴訟判決(2024年3月26日『宮崎日日新聞』-「社説」)

 ◆本格救済にかじを切る時だ◆

 水俣病特別措置法に基づく救済の対象外となった熊本、鹿児島など4県の144人が国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁は請求を棄却した。昨年9月、救済から漏れた128人全員を水俣病と認定し賠償を命じた大阪地裁判決から大きく後退した形だ。救済拡大を迫る原告らには厳しい結果となった。

 熊本地裁は原告25人を水俣病と認定したが、損害賠償請求権が消滅する除斥期間が経過したと判断した。同様の訴えは東京、新潟両地裁にも起こされ、4訴訟は「ノーモア・ミナマタ第2次訴訟」として知られる。原告は全体で1700人余り。うち1400人が熊本訴訟に加わっている。

 今回は2013年に提訴した第1、2陣の判決。しかし、いつになったら22年提訴の第14陣まで全ての裁判が終わるのか、見当もつかない。特措法がうたう「あたう限り救済する」との原則を忘れていないか。被害を訴え続ける声と正面から向き合わなくてはならない。

 水俣病熊本県で1956年に公式確認された。チッソ水俣湾へ排出したメチル水銀に汚染された魚介類を食べることにより発症。手足の感覚障害や運動失調、視野狭窄(きょうさく)などに見舞われる。国は「感覚障害と他の症状の組み合わせ」を患者認定の主な基準に補償を進めた。だが未認定続出で提訴が相次ぎ、2004年の最高裁判決は国より緩やかな基準で被害を認める判断をした。

 このため認定申請や訴訟が増え、患者と認められなくても一定の症状があれば一時金などを支給する特措法が09年に施行され、国は「最終決着」と位置付けた。だが対象地域を水俣湾に面する熊本、鹿児島両県の9市町に絞り、出生時期も限定した。申請受け付けも2年ほどで締め切り、対象外となったり、申請が間に合わなかったりした多くの人が取り残された。

 患者認定、特措法による救済はともに、切り捨てと幕引きに重きを置いているようにしか見えない。13年には最高裁判決が「感覚障害だけの患者がいないという科学的実証はない」と指摘。それでも国は認定基準を見直そうとせず、認定業務を担う自治体に審査を厳格化するよう通知した。熊本訴訟の原告は全員が地元医師に水俣病と診断されたが、認定申請を退けられ、特措法でも救われなかった。

 除斥期間を巡っては、旧優生保護法訴訟で「正義に反する」と適用を制限した高裁判決も出ており、熊本訴訟の行方はまだ分からない。とはいえ、今回判決を迎えた原告の7割以上が70~90代。この切実さから国は目をそらしてはならない。