水俣病被害の判決に関する社説・コラム(2024年3月23日)

原告の請求が棄却され、沈鬱な表情を浮かべる原告団熊本市中央区で2024年3月22日午前11時11分、毎日新聞金澤稔撮影

水俣病被害の判決 国は幅広い救済に動く時(2024年3月23日『毎日新聞』-「社説」)

 日本の公害病の原点とされる水俣病の被害救済が、終わっていないことを示した司法判断である。

 熊本、鹿児島両県などの住民ら144人が国と県、原因企業のチッソに損害賠償を求めた訴訟で、地元の熊本地裁が判決を出した。 不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」を理由に訴え自体は退けたが、原告のうち25人を水俣病と認めた。

 2009年に施行された水俣病被害者救済特別措置法(特措法)に基づく救済措置の対象者は、原則として不知火海沿岸9市町に1年以上居住した人に限られた。

 25人のうち20人はこの対象区域外に住んでいた。国は、特措法で「最終解決を図る」としていたが、救済から取り残された患者がいることになる。

 争点の一つとなったのが「除斥期間」を巡る判断だ。国はチッソが排水を止めた5年後の1973年までには発症するはずだと主張し、20年後の93年に賠償請求権は消滅したとの立場だ。

 だが、地元では、差別を恐れて申し出をためらいがちな状況があった。原告側は、水俣病との診断を受けた時点から計算すべきだと訴えていた。

 今回の熊本地裁判決とは異なり、昨年9月の大阪地裁判決は住民側の主張を全面的に受け入れ、原告128人全員を救済対象者と認めた。

 特措法に基づく救済措置では、4万5933人が熊本、鹿児島両県に一時金支給などを申請した。国や県は不知火海の魚介類を摂取していたことの証明などを求め、9572人が対象外とされた。

 こうした救済対象の「線引き」が水俣病の解決を遅らせてきた。

 特措法は、被害実態を把握するための健康調査を周辺地域を含めて積極的かつ速やかに国が実施すると定めている。

 だが、調査手法が依然として固まらず、今も実施時期などが決められない状態だ。

 水俣病を巡る訴訟は新潟、東京両地裁でも続いており、被害を訴える人の高齢化も進んでいる。裁判中に亡くなった原告も多い。

 「あたう限りすべて救済する」という特措法の理念に基づき、政府と国会は、幅広い救済を実現する道を探るべきだ。

 

(2024年3月23日『山形新聞』-「社説」/『茨城新聞山陰中央新報』-「論説」)

 

 水俣病特別措置法に基づく救済の対象外となった熊本、鹿児島など4県の144人が国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁は請求を棄却した。昨年9月、救済から漏れた128人全員を水俣病と認定し賠償を命じた大阪地裁判決から大きく後退した形だ。救済拡大を迫る原告らには厳しい結果となった。

 熊本地裁は原告25人を水俣病と認定したが、損害賠償請求権が消滅する除斥期間が経過したと判断した。同様の訴えは東京、新潟両地裁にも起こされ、4訴訟は「ノーモア・ミナマタ第2次訴訟」として知られる。原告は全体で1700人余り。うち1400人が熊本訴訟に加わっている。

 今回は2013年に提訴した第1、2陣の判決。しかし、いつになったら22年提訴の第14陣まで全ての裁判が終わるのか。厳し過ぎると批判が絶えない認定基準の緩和を裁判所に促されても、国は厳格な審査にこだわり争い続けている。一方、救済は不十分なままで、特措法対象地域と周辺の住民健康調査もしていない。

 特措法がうたう「あたう限り救済する」との原則を忘れていないか。被害を訴え続ける声と正面から向き合わなくてはならない。なお声を上げられない人も多いとされ、被害の掘り起こしにつながるとみられる広域の健康調査を含め、本格救済にかじを切るべきだ。

 水俣病熊本県で1956年に公式確認された。チッソ水俣湾へ排出したメチル水銀に汚染された魚介類を食べることにより発症。手足の感覚障害や運動失調、視野狭窄(きょうさく)などに見舞われる。

 国は「感覚障害と他の症状の組み合わせ」を患者認定の主な基準に補償を進めた。だが未認定続出で提訴が相次ぎ、2004年の最高裁判決は国より緩やかな基準で被害を認める判断をした。

 このため認定申請や訴訟が増え、患者と認められなくても一定の症状があれば一時金などを支給する特措法が09年に施行され、国は「最終決着」と位置付けた。だが対象地域を水俣湾に面する熊本、鹿児島両県の9市町に絞り、出生時期も限定した。申請受け付けも2年ほどで締め切り、対象外となったり、申請が間に合わなかったりした多くの人が取り残された。

 患者認定、特措法による救済はともに、切り捨てと幕引きに重きを置いているようにしか見えない。13年には最高裁判決が「感覚障害だけの患者がいないという科学的実証はない」と指摘。それでも国は認定基準を見直そうとせず、認定業務を担う自治体に審査を厳格化するよう通知した。

 熊本訴訟の原告は全員が地元医師に水俣病と診断されたが、認定申請を退けられ、特措法でも救われなかった。本人の「主観的な応答」に頼る感覚検査は信用性が低いと国は主張。住民健康調査に向け、MRIを用いた新たな診断手法を開発中と言う。ただし26年まで研究を予定しており、時間をかけ過ぎだろう。

除斥期間を巡っては、旧優生保護法訴訟で「正義に反する」と適用を制限した高裁判決も出ており、熊本訴訟の行方はまだ分からない。とはいえ、今回判決を迎えた原告の7割以上を90~70代が占め「生きているうちに救済を」との声は日々切実さを増している。その厳しい現実から国は目をそらしてはならない。

 

水俣病の被害者 司法判断に翻弄されて(2024年3月23日『東京新聞』-「社説」)

 司法は今度は、水俣病被害者の救済への扉を開かなかった。健康被害に苦しみながら高齢化した被害者たちの人生は、異なる司法判断のはざまで翻弄(ほんろう)されている。
 水俣病特別措置法(特措法)の対象から漏れた原告144人が、国や熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めていた訴訟で、熊本地裁は原告の訴えを退けた。同趣旨の訴訟は全国4地裁で起こされ、原告は計1700人以上。初判決は昨年の大阪地裁で、原告128人全員を水俣病患者と認定、国などに賠償を命じており、同じ訴えに対する判断が分かれた。
 特措法では約3万8千人に一時金を支給したが、対象を不知火海周辺の特定地域に絞り、チッソが汚染水排出を止めた翌年の1969年11月までの出生も要件にし、約1万人が救済から漏れた。集団訴訟の原告はそうした人たちだ。
 昨年の大阪地裁は、対象地域外でも不知火海の魚を継続摂取していれば発症しうる▽排出停止後も発症した例がある-として、法の「線引き」を一蹴し、原告全員を患者と認めた。
 一方で、今回の熊本地裁は、水俣病は、不知火海の魚を継続的に多食してからおおむね10年以内に発症すると推認。原告のうち、この条件に合う25人を水俣病に罹患(りかん)していると認定したが、賠償請求権が消滅する除斥期間(20年)が経過していると判断した。残る119人の罹患は認めなかった。
 日本の公害の原点とされる水俣病の救済は、司法が、政治に重い腰を上げさせる歴史だった。
 国は「複数の症状がある」という厳しい条件に基づき、重症の約3千人を患者に認定した。しかし、中軽度の症状に苦しむ人の訴訟が相次ぎ、95年、未認定患者1万人余に一時金を支給して政治決着を図った。その後、最高裁が認定基準を国より緩やかに解釈する判断を示したことを受け、09年、第2の政治決着として成立したのが特措法だ。そこからも漏れた人々の救済の先行きは、大阪地裁判決と打って変わった今回の判決で一気に混迷化した。
 「あたう(できる)限りすべて救済する」と特措法はうたうが、司法判断は揺れ、同法で定める被害地域住民の健康調査すら未実施だ。患者救済に尽くした医師の故原田正純さんの著書名が言う通り、「水俣病は終(おわ)っていない」。公式認定から今年で68年になる。

 

水俣病熊本判決 救済の道を開かなくては(2024年3月23日『新潟日報』-「社説」)

 再び開くかと期待された扉が、重く閉ざされた。救済の道筋が見えない判決に、原告側の落胆は計り知れない。被害者に広く救済の道が開かれなくてはならない。

 2009年に施行された水俣病特別措置法に基づく救済策の対象外となった144人が、水俣病の典型的症状を訴え、国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁は22日、請求を棄却した。

 判決は25人の罹患(りかん)を認めたものの、損害賠償請求権が消滅する20年の除斥期間は経過したと判断した。原告の約8割は罹患を認めず、民間医師による診断書の所見だけでは信用性に乏しいとした。

 原告全員を水俣病と認め、国などに賠償を命じた昨年9月の大阪地裁判決とは正反対の判断だ。

 国の救済範囲よりも対象を広く解釈した大阪地裁判決は、全員救済に光明が見えた。それだけに、今回の原告団長が「私たちの言い分を全く聞いていない」と憤るのも無理はない。

 気になるのは、両地裁の判決理由に大きな開きがあることだ。

 除斥期間の起算点について、大阪地裁判決は民間医師の診断時とした。感覚障害の発症時とすると、症状があってもメチル水銀の暴露が原因と気付かなかった場合、患者が救済されないためだ。

 一方、熊本地裁は起算点は発症時とした。水俣病の潜伏期間はメチル水銀の暴露からおおむね10年以内と指摘し、罹患した原告の発症時期から、既に除斥期間を過ぎたと結論付けた。

 差別の強さから名乗り出ることができなかった人もいる中で、水俣病と認められても、時間の壁に阻まれるのでは理不尽だ。

 罹患認定を巡っても判断が分かれた。大阪地裁判決が、長年水俣病の診療に当たってきた民間医師が策定した「共通診断書」の所見の信用性を認めた一方で、熊本地裁判決は、共通診断書のみでは認めることはできないとした。

 特措法は「あたう(可能な)限りの救済」をうたいながら、対象を患者多発地域で一定の居住歴がある人に制限した。出生年にも制約がある。約2年とした特措法の申請期限に間に合わず、対象から外れた人もいる。

 司法は、被害者救済の最後のとりでとして、治らぬ病の痛みのみならず、救済策からも漏れ、長年苦しんできた被害者の存在に目を向けてもらいたい。

 多くの被害者が高齢化する中で、救済に時間がかかり過ぎている現状は歯がゆい。

 国は恒久的な救済システムをつくるとともに、被害の全容解明に向けた調査に力を尽くすべきだ。

 新潟地裁では来月18日に、新潟水俣病第5次訴訟の判決が控える。いまなお苦しんでいる被害者を取りこぼすことなく、救済に向けた一歩が刻まれることを願う。

 

水俣病訴訟】国は真の最終解決を急げ(2024年3月23日『高知新聞』-「社説」)

  
 司法判断がこれほど極端に分かれること自体、水俣病の根本解決は遠いと言わざるを得ない。いまだ救済されていない患者を一層苦しめる。国の責任は重い。
 2009年施行の水俣病特別措置法に基づく救済策の対象外となった144人が水俣病の症状を訴え、国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁が請求を棄却した。
 原告の約8割の水俣病罹患(りかん)を認めなかった。民間医師による診断書の所見だけでは信用性に乏しいとし、より厳格な診断を求めた。
 罹患を認めた原告についても、損害賠償請求権が消滅する20年の除斥期間が過ぎたと判断した。「時間切れ」を言い渡した。
 同種の訴訟で昨年、原告全員を水俣病と認め、国などに賠償を命じた大阪地裁判決とはあまりに対照的だ。水俣病の認定や救済を巡っては、これまで司法が前を切り開いてきた面があるだけに、関係者の衝撃は大きいだろう。
 水俣病患者は長く、公害健康被害補償法が適用されてきたが、国が設けた認定基準が厳しく、審査から漏れる例が多発。未認定患者らの訴訟が相次いできた。
 04年の最高裁判決が国の基準より広く水俣病を認め、司法判断に押されるかたちで特措法が成立した経緯がある。その結果、対象者は大幅に増えたが、真の解決には至らず、訴訟が続いている。
 特措法が、メチル水銀の排出停止翌年の1969年11月末までに生まれ、不知火海(しらぬいかい)に面する熊本、鹿児島両県の9市町沿岸部などに居住歴がある人に対象を限定したためだ。申請も約2年で締め切られた。
 今回、原告側は、対象地域外に居住していたが、行商で運ばれるなどして不知火海の魚介類を多く食べ、水俣病の症状を発症したと主張。居住歴や出生年の線引きで対象外とされるのは不当だと訴えてきた。特措法を知らず、申請期限に間に合わなかった人も原告に加わった。
 これに対し国などは、発症するほどのメチル水銀暴露はなく、症状の原因が水俣病とは限らないと反論。除斥期間も経過していると主張してきた。
 原告は控訴する方針で、今後、高裁での審理や判断が注目されるが、改めて問われるのは、救済のあり方がこのままでよいのかという根本問題である。
 特措法は問題の「最終解決」をうたって成立した。「あたうかぎりの救済」も掲げている。ところが対象者は限られ、国の判断基準も厳しいままで、最終解決には程遠い。
 同種の訴訟は東京や新潟でも提起され、各地の原告は計1700人を超える。今回の熊本訴訟も原告1400人のうちの第1、2陣である。いかに認定と救済を求める人が多いかが分かる。
 国は真の解決を急ぐ必要がある。1956年の水俣病公式確認から68年。患者の高齢化が進む。矮小(わいしょう)化や時間稼ぎは許されない。

 

水俣病訴訟判決 全員救済へ流れ止めるな(2024年3月23日『西日本新聞』-「社説」)

 司法が長年積み重ねてきた救済拡大の流れに、逆行する判断と言えよう。

 2009年施行の水俣病被害者救済法の対象外となった144人が水俣病の症状を訴え、国や熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の判決で、きのう熊本地裁は請求を棄却した。

 原告の全面敗訴である。

 同種の訴訟で、昨年9月の大阪地裁判決は原告の主張を全面的に認めており、地裁レベルで判断が割れた。

 原告は「不当判決」として控訴する方針だ。大阪地裁判決を契機に、被害者を全員救済する道が開けたと私たちも期待していただけに、この流れにブレーキがかからないか懸念せざるを得ない。

 救済法は水俣病問題の「最終解決策」とされた。不知火海周辺の熊本、鹿児島両県の9市町に1968年までに1年以上住んでいたことや、チッソ有機水銀の排水を止めた翌年の69年11月末以前に生まれたことなどを救済条件としている。

 判決は原告のうち25人について水俣病罹患(りかん)を認定しながらも、損害賠償請求権が消滅する20年の除斥期間が経過したと判断した。それ以外の原告は民間医師による診断書の所見だけでは信用性に乏しいなどとして、水俣病とは言えないと結論付けた。

 救済策から漏れた128人の原告全員を水俣病と認定した大阪地裁判決は、地域や年齢で対象者を「線引き」する救済法の枠組みを否定した。民間医師による所見の信用性も認めて「原告らの症状は水俣病以外に説明できない」と明快に言い切っていた。

 水俣病を巡っては、認定の範囲をできるだけ限定しようとする国に対して司法が厳しい判断を示し、救済対象を拡大してきた歴史がある。

 「疑わしきは救済せよ」との姿勢が鮮明だった大阪地裁判決とはあまりに対照的な今判決は、これまで司法が果たしてきた役割を放棄したかのようにも見える。

 水俣病の公式確認から今年で68年となる。熊本地裁の原告は1400人に上る。初期に提訴した人たちへの今判決まで実に11年を要し、この間に約240人が亡くなった。生きている人たちの平均年齢は74歳に迫る。

 昨年、大阪地裁判決を不服とする国と県、チッソが控訴した際、原告からは「私たちが死ぬのを待っているのか」との声が上がった。

 国は裁判をこれ以上長引かせてはならない。救済を急ぐべきだ。今判決も救済法の対象外とされていた25人を水俣病と認め、法の救済基準には誤りがあると指摘しているのである。

 被害者団体などが求める不知火海沿岸での健康調査を実施し、被害の全容を把握した上で、裁判をしていない被害者も救済する恒久的な制度を構築すべきだ。

 全員救済へ、流れを止めてはならない。

 

水俣病訴訟判決 特措法では解決できない(2024年3月23日『熊本日日新聞』-「社説」)

 水俣病被害の実態に向き合ったとは言い難く、全ての被害者救済を遠のかせる判決である。

 水俣病特別措置法に基づく未認定患者救済策の対象から外れた熊本、鹿児島両県の住民らが国と熊本県、原因企業チッソに賠償を求めた集団訴訟で、熊本地裁は原告144人全員の請求を退けた。

 同種訴訟で先行した昨年9月の大阪地裁判決は、原告全員を水俣病と認めた。熊本地裁の判決は全く相反し、裁判は長引くだろう。熊本訴訟の原告が1400人に上るのは、特措法がうたう「あたう限り(可能な限り)の救済」に漏れが生じたからだ。国は勝訴したとはいえ、最終解決に至らない現状を省みなくてはならない。

 特措法の救済策は、不知火海メチル水銀に汚染された魚を多食し、手足の感覚障害がある人に一時金210万円などを支給。チッソが水銀排出を止めた翌年の1969年11月までに生まれ、対象地域9市町に1年以上の居住歴があるかどうかで「線引き」した。申請した約6万5千人のうち約9600人が棄却され、申請受け付けも2年余りで締め切った。

 判決は、メチル水銀の摂取リスクについて、低濃度や潜伏後の水俣病発症がありうるとしたが、その時期は不知火海の魚介を多食して10年以内程度と捉えた。損害賠償請求権が消滅する20年の除斥期間の起算点を発症時とした。原告25人を水俣病と認めたが、除斥期間が過ぎたと判断した。患者が賠償を受けられないとは、司法救済の役割を放棄したに等しい。

 残る原告は水俣病の罹患[りかん]を認めなかった。民間医師による「共通診断書」の信頼性を疑い、県の患者認定審査で作成する公的検診録を重視した。

 その結果、除斥期間の適用を含め、大阪地裁判決よりも救済範囲は大幅に狭まった。集団訴訟で残る一審判決、さらに控訴審の判断を待つとしても、裁判所の考え方次第で結論が大きく異なろう。司法による決着では時間もかかりすぎる。原告の多くは高齢者だけに速やかな救済が求められる。

 水俣病の患者認定は、感覚障害と複数症状の組み合わせを求める厳しい基準が維持され、これまで認定されたのは熊本、鹿児島、新潟の3県で計3千人にとどまる。申請を棄却された被害者による裁判が相次ぎ、一定の症状がある人を「政治決着」で2回救済した。95年に約1万1千人、特措法で約5万5千人が対象となった。それでも取り残された人がいるのは、国の公害行政の怠慢である。

 水俣病の公式確認から68年。国はいまだに水俣病被害の全容を解明できないままだ。特措法は不知火海周辺住民の健康調査を速やかに実施するとしながら、法施行から15年目にして実現していない。被害者を置き去りにする不作為と言うほかない。

 国と県は、特措法を水俣病の最終解決としてはならない。救済地域や時期を限定せず、誰一人残さない「あたう限りの救済」の検討を急ぎ、実現すべきだ。