新潟水俣病判決 国の責任を問わぬとは(2024年4月22日『東京新聞』)

 国の責任を認めなかった点に、強い違和感が残る判決だ。
 新潟水俣病に苦しむ原告が水俣病特別措置法(特措法)の対象から外れ、救済を受けられなかったのは違法だとして、国と原因企業・旧昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償を求めた訴訟で、新潟地裁は原告47人のうち26人の罹患(りかん)を認め、同社に約1億円の賠償を命じたが、国への賠償請求は退けた。
 新潟県阿賀野川下流の沿岸で水俣病が公式確認されたのは、1965年。原告は、各地で同種工場の排水の水銀測定結果が出た61年までには、国が規制権限を行使すべきだったと訴えた。しかし判決は、同年の時点では、国に工場からの水銀排出や住民の健康被害を具体的に予見できたとはいえないとして、その主張を退けた。
 だが、56年には熊本県水俣病が公式確認され、65年より前には原因も明らかになっていた。新潟でも既に健康被害が出ていたのだから、原告の主張はもっともではないか。同趣旨の訴訟は全国4地裁で起こされたが、原告勝訴だった昨年9月の大阪地裁判決はもとより、賠償請求権が消滅する20年の「除斥期間」が過ぎていたとして、原告敗訴だった今年3月の熊本地裁判決ですら、国の責任を認めている。その点から見ても、今回の判断には疑問が残る。
 ただ、今判決が、原告らの提訴が遅れたのは「差別や偏見で旧昭和電工への請求を躊躇(ちゅうちょ)していた事情もある」と酌み、「正義・公平の理念に反する」と除斥期間を適用しなかった点は評価できる。結果、水俣病に罹患していると判断した一部原告への賠償を認めた。
 水俣病に関し、国は当初、重症者だけを患者認定していたが、中軽度の症状に苦しむ人の訴訟が相次ぎ、最高裁が2004年、国の責任を認めた上で、認定基準を国より緩やかに解釈する判断を示した。これを受けて09年、対象を広げる特措法が成立したが、その適用からも外れた住民が一連の訴訟を起こした。
 これまでの3判決は、国の責任や、除斥期間のとらえ方、診断に使われてきた「共通診断書」への評価でも分かれ、司法判断が錯綜(さくそう)している。ただ、判決内容にかかわらず、国が「あたう(できる)限り救済する」とうたう特措法の精神に則(のっと)った被害者救済に手を尽くすべきなのは言うまでもない。