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新潟水俣病判決 恒久的な救済一刻も早く(2024年4月19日『新潟日報』-「社説」)
被害者全員の救済への扉は開かなかった。高齢で体に痛みを抱えながら長年闘ってきた原告らの気持ちを思うと切ない。
一方、原告の半数以上が水俣病の罹患(りかん)を認められたことで、国の認定制度の不備が明らかになった。場当たり的な対応ではなく、すべての患者を恒久的に救済できる制度の構築を求めたい。
水俣病被害を訴える新潟市などの男女が、国と原因企業の昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に1人当たり880万円の損害賠償などを求めた新潟水俣病第5次訴訟で、新潟地裁は18日、患者認定を既に受けている2人を除く原告45人中26人を水俣病に罹患していると認め、昭電側にそれぞれ400万円の賠償を命じた。
残る原告については、個別の病状や発症時期などから、水俣病の罹患を認めなかった。
とはいえ、水俣病を巡る同種の訴訟で昨年以降示された大阪と熊本、新潟の地裁判決が、国の認定基準を否定したことは明白だ。
大阪地裁は、国が水俣病とは認定していない原告全員を水俣病だと認めた。熊本地裁は、損害賠償請求権が消滅する20年の除斥期間が過ぎたとして請求は棄却したが、一部原告を認定したからだ。
除斥期間の適用を認めなかったことも評価したい。
原告らが差別・偏見を恐れて提訴が困難だった事情などから「正義・公平の理念を踏まえ、適用を制限する」と指摘し「賠償請求権が消滅したということはできない」とした。被害者の境遇に寄り添った判断だ。
しかし、大きな争点である国の責任については認めなかった。「有機水銀の排出や周辺住民に健康被害が生じると具体的に予見できたとは言えない」として、国への賠償請求を棄却した。
原告側は公判で、「九州の水俣病確認後に国が対策を取っていれば新潟での発生は防げた」と主張していた。
新潟水俣病の判決で国の責任を認めたことはなかった。原告団長の皆川栄一さんは「国の責任を求めてきた。今回も負けたと思うと悔し涙が出る」と述べた。
原告側が水俣病の根拠とした地元民間医師による共通診断書については、信用性を否定した。
判決では、共通診断書に依拠して水俣病に罹患しているかどうかを判断するのは困難とした上で「公的検診の結果に依拠すべき」と指摘した。
水俣病だと認定する範囲が狭まり、原告側に厳しい立証責任が生じたとも考えられる。
原告は、水俣病と同じ症状でも国の基準で水俣病と認められなかったり、2009年に施行された水俣病特別措置法(特措法)に基づく救済を受けられなかったりした人で、13年12月に提訴した。
18日は原告149人のうち、審理を終えた47人の判決だった。判決まで10年余の時間を要したことは歯がゆい限りだ。原告の平均年齢は75歳になり、裁判中に31人が亡くなった。
九州の水俣病公式確認から70年近く、新潟は約60年になるのに、全国で現在1700人超が裁判を起こしていることを、国は重く受け止めるべきだ。
「あたう(可能な)限りの救済」をうたった特措法は、居住歴や出生地などを制約した上、申請期間を約2年とした。こうした小手先の対応が、解決を長引かせているとの指摘もある。
被害者は高齢化している。一刻も早く救済の道を広げるよう国は動かねばならない。
新潟水俣病判決 全面救済はおぼつかない(2024年4月19日『熊本日日新聞』-「社説」)
このままでは被害者の全面救済はおぼつかないことを改めて浮き彫りにした判決だ。
新潟水俣病の被害を訴えている人たちが国と原因企業の昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償を求めている裁判で18日、新潟地裁は原告の大半を水俣病に罹患[りかん]していると認めた。
熊本と新潟の両水俣病事件を対象に、未認定被害者の救済を図った特別措置法の施行(2009年)後に起きた集団訴訟で、3件目の判決である。昨年9月の大阪地裁は原告全面勝訴、今年3月の熊本地裁は原告全員の請求を退け、判断が分かれていた。
新潟地裁は今回審理対象となった原告47人の大半について水俣病の可能性が高いと判断。企業に賠償を命じた。発症から提訴までに20年の除斥期間が経過しているとしたが、正義公平の理念から適用を制限するとした。ただ、国への賠償請求は認めなかった。
先の大阪地裁判決は原告128人全員を水俣病に罹患していると判断した。除斥期間を適用し原告敗訴とした熊本地裁判決も、原告のうち25人の被害を認めていた。新潟でも罹患者が認められたことで、特措法での救済に漏れがあることが重ねて明白になった。
一連の集団訴訟では東京地裁でも今後判決が予想される。既に判決済みの人も含め、4訴訟の原告数は1700人余りになっている。これら集団訴訟とは別に、行政に患者認定を求める裁判も各地で進行中だ。上級審の審理や行政不服審査請求も含め、紛争がこれからも続くのは間違いない。
水俣病認定はその狭さが指摘され、膨大な数の未認定被害者を生み出してきた。1995年の政府解決策と2009年施行の特措法は、いずれも認定制度と別立てで、被害者の救済を図ろうとした。「救済」と「紛争終結」をうたった特措法は、水俣病問題の「最終解決」を図るとしたが、現状はほど遠いと言わざるを得ない。
国は特措法による救済の申請受け付けを2年3カ月で閉じた。新潟訴訟の原告には当時体調が悪くても自分が水俣病とは思わなかったり、差別を恐れて名乗り出なかったりした人たちが多いという。
こうした救済漏れが後を絶たないのは、被害者が自主的に申し出なければ救済しないというやり方がとられてきたためだ。被害を見つけてあまねく救済するには本来、行政が積極的に住民の健康調査をするべきだった。
特措法は「積極的かつ速やか」に健康調査などを実施して結果を公表するよう定めたが、国は法施行から15年近くたっても履行していない。被害者は高齢化し、時間は限られている。もはや不作為と言うほかはない。これでは紛争再燃の歴史を繰り返すだけだろう。
熊本県の木村敬知事は先の就任記者会見で、健康調査を「法律に沿って早くやっていただくよう訴えていく」と述べた。問われるのは実行力だ。救済策から漏れている人たちをどう救っていくかもなお考えなければならない。