◆戦後の国民にスポーツで勇気と希望を
「廃止も一つの考え方だ」。宮城県の村井知事は8日の記者会見で国スポについて、こう述べた。
国スポは「国民体育大会」として1946年に始まり、各都道府県の持ち回りで毎年行われている。冬季大会は12〜2月に、本大会は9〜10月に開催。日本スポーツ協会、文部科学省、開催都道府県の3者による共催だ。
日本スポーツ協会のホームページによると、初回は「戦後の荒廃と混乱の中、スポーツで国民に勇気と希望を与えよう」と開催された。対抗方式で、男女総合成績トップの都道府県に天皇杯、女子トップに皇后杯を授与。2024年大会から「世界的に広く用いられている『スポーツ』」を用いた名称に変更した。本大会の開催地は34年の沖縄県まで予定が決まっている。
今回、村井知事は「聖域やタブーを抜きにして、白紙で議論した方がいい」と強調。「47都道府県が順番に年に1度、ほぼ全ての競技の選手を1カ所に集めるのはやめるべきでは」と提起した。
◆当初の理念と現状との乖離、自治体の負担
全国知事会が厳しい対応を求めるのは、長年にわたり、開催自治体の人的・財政的な負担が課題となってきた事情がある。02年の緊急決議は「当初とスポーツ環境が大きく変化し、国民の関心が薄れた」と指摘。共催の2者に「応分の負担」を求め、「大会運営の一層の簡素・効率化を図る」としていた。
実際、25年に国スポがある滋賀県の総事業費も約590億円に上る見込み。県担当者は「大半が県の負担だ」と説明する。主会場となる陸上競技場や温水プールの新設費が計上され、「開催には必要な施設だが、大会後の維持管理や利活用次第では後世の負担となってしまう」と危惧する。
放送大の尾崎正峰特任教授(スポーツ社会学)は「『国体は施設をつくる』が常態化していた。1巡目はつくる契機になったが、2巡目では大規模施設の建設費やランニングコストが問題視された」と指摘。警備など表に出ない面の手配、他の都道府県や競技団体との連絡調整などを挙げ「開催自治体の職員の負担も大きい」と話す。
◆知事会の中でも賛否両論
コロナ禍では、20年の鹿児島国体、21年の三重国体が中止に。鹿児島は23年に延期したが、三重は財政事情を考慮して断念した。こうした中での村井知事の「廃止」発言だが、歓迎ばかりではない。
神奈川県の黒岩祐治知事は「多くの選手が目標にしている」、栃木県の福田富一知事は「金がかかるとの理由だけで廃止することはあってはならない」と慎重論だ。林芳正官房長官は9日の記者会見で「地域の競技力向上やスポーツ環境の整備に貢献してきた。持続可能な大会となるよう検討を進めることが重要だ」と述べた。
全国知事会は行政スリム化の観点から、国スポの在り方を各都道府県にアンケート中。担当者は「存続・廃止も含め、幅広く意見を求めている」と説明する。日本スポーツ協会も検討チームを立ち上げ、新たな在り方を議論している。
◆38大会連続で開催地が優勝している不自然さ
国体を巡っては、かねていびつさが問題視されてきた。典型が開催地による「勝利至上主義」だ。例えば男女総合成績第1位となった都道府県に授与される「天皇杯」は、1964年の新潟大会以降38大会連続で開催地が獲得していた。
大きな要因は、県外の有力選手の「輸入」。開催都道府県は、地元以外の有力選手を県職員や学校の教員などとして採用し、「地元代表」として出場させてきた。毎年、開催地を転々とする「渡り鳥」のような選手も少なくない。
「不正」も明るみに出た。2010年の千葉国体では、山口県代表で参加した陸上や水泳など7競技35選手が県内に居住実態がなく、参加要件を満たしていなかったことが発覚し、減点された。
この件を調査した日本体育協会(現日本スポーツ協会)の第三者委員会は、一過性の選手強化を「開催地絶対優勝主義」と断罪し、是正を求めた。しかし、現在も開催地の優勝が「ノルマ」のようになっている状況は続いている。開催地の代表は予選なしで全競技に出場できるなど、採点方法が不平等との声も根強い。
◆国際大会で活躍するトップ選手は出てる?
競技大会としての位置付けも揺らぐ。スポーツ文化評論家の玉木正之氏は「一流選手は国際大会が主戦場。国内大会でも、五輪や世界選手権の予選ではない国体に参加する意義は乏しい。現実にトップ選手は国体にはほとんどこない」と指摘する。
高校生にとっては国体優勝が「高校3冠」のタイトルの一つといわれる競技もあるが、玉木氏は「オーソライズされたタイトルではない。昔と違って、いまは学生の競技大会が増え、国体に代わるものがある。逆に大会が多すぎて選手や指導者の負担になっている状況下で国体が果たして必要なのか」と投げかける。
◆国民の健康増進、マイナー競技の普及には一役
こうした批判がありながら、なぜ国体は続いてきたのか。
日本スポーツ協会は国体の狙いを「スポーツを普及し、国民の健康増進と体力向上を図り、地方スポーツの推進と地域文化の発展に寄与して、国民生活を豊かにする」とうたう。例えば1980年の栃木大会では、開催を機に県内で実業団チームが発足するなどホッケーが広まった。地域でのマイナー競技の普及にも一役買っている。
2022年10月、「いちご一会とちぎ国体」の総合開会式を盛り上げた式典演技=宇都宮市で
しかし、主催側の本心は五輪に向けたトップアスリートの育成にあるようだ。2003年には、日本体協国体委員長を務めていた日比野弘氏が「国体は国際舞台で戦える選手を送り出す役目」があると発言した。
◆スポーツは一部のエリートだけのものではない
国体が続けられたのは、国の補助でスポーツ施設や道路などを整備する「ハコモノ主義」の側面も大きかったという。神宮外苑の新国立競技場などハコモノが乱立した21年の東京五輪とも構図は重なる。東京五輪は汚職や談合などが次々と明るみに出て、そのメッキは剝がれたが、国体は今後どうあるべきか。
東京五輪のために改築された新国立競技場(資料写真)
谷口氏は「スポーツ本来の理念を取り戻すため、まず国体をやめる。存在意義が薄いといった消極的な理由でなく、前向きな転換点とする発想が必要だ」と説く。
「スポーツは一部のエリートだけのものではない。いつでも、誰でも、どこでも関われる環境をつくりあげることが、世界的にも絶対的な理想とされている。地域のスポーツ振興や健康増進のために、必要な場所や指導者など、人・物・金を集結させる政策を方向性を打ち出していく。国体のあり方が提起された今が、まさにそのときではないか」
◆デスクメモ
大会エンブレムのデザイン問題に始まり、開催経費の高騰や猛暑に見舞われた東京五輪。コロナ禍でも強行され、汚職・談合事件が尾を引いた。あの混乱は記憶に新しいはずだが、世間はもう夏のパリ五輪ムードが高まっている。お祭り騒ぎに流されず、隠れた影響を見極めなければ。(本)