死刑執行の通知 人間らしい最期の時を(2024年4月17日『東京新聞』-「社説」)

 死刑執行を当日に通知する運用は違憲だと死刑囚2人が訴えていた訴訟で、大阪地裁は訴えを退けた。だが、当日の通知では家族らとの面会もできない。国際的には非人道的な扱いとみなされる。この運用は見直されるべきだ。
 死刑執行は今なおベールの中。現在の運用では執行当日、1~2時間前に知らされ、そのまま死刑囚は刑場に連行されるという。
 この運用だと不服申し立てができず、「適正な手続きによらなければ処罰されない」と定めた憲法31条に反するとの訴えだった。
 だが、大阪地裁は「死刑囚は現行の運用を含めた刑の執行を甘受すべき義務を負う」と述べて、原告の求めを退けてしまった。
 死刑は人の生命を奪う特別な刑罰である。執行のみが刑罰だが、当日の通知では執行までに残された時間は限られる。
 それを考えれば死に直面する人に対し、もっと人間らしい対応があってしかるべきではないか。家族や知人との面会をできるだけ自由にし、手紙のやりとりなどにも制限を加えるべきではない。
 弁護側によれば、1960年代ごろには日本でも2、3日前に告知されたことがあったという。国側は前日に死刑囚が自殺した事例があったことから、「死刑囚の心情の安定を図るため」と現行の運用にしたと説明する。
 だが告知と自殺にどのような因果関係があるかは不明だ。今では拘置所の独房に監視カメラがつき、厳重に警戒される。自殺を防ぐことは可能であろう。
 米国では告知なしに死刑執行できる州法について、1890年に連邦最高裁違憲判決を出していた。現在、米国では執行日の告知は1週間から1カ月前になされていると聞く。「当日告知・即日執行」するのは、東欧のベラルーシだけだともいう。
 日本では告知の規定自体がなく具体的な運用は行政側の裁量に委ねられている。人間らしい最期の時を迎えられるよう、少なくとも事前告知に改めるべきである。
 死刑廃止国は144カ国。先進国で死刑が残るのは日本と米国だけだが、米国でも存続するのは一部の州に限られる。
 死刑が確定した袴田巌さんの再審裁判が進んでいる。冤罪(えんざい)で死刑執行は到底、許されない。死刑廃止という国際的な潮流も踏まえ、存廃の議論も深めるときだ。