国民スポーツ大会 積年の歪み、正す改革急げ(2024年4月12日『信濃毎日新聞』-「社説」)

 全国知事会長の村井嘉浩宮城県知事が、国民スポーツ大会(国スポ=旧国民体育大会)を巡り「廃止も一つの考え方だ」と述べた。

 もっともな見解である。開催地の人的、財政的負担があまりに重い。

 国スポは戦後間もなく始まり、原則、都道府県の持ち回りで開催されてきた。現在2巡目で、3巡目に入る2035年に向け日本スポーツ協会(旧日本体育協会)や知事会があり方を検討している。

 国内最大のスポーツの祭典とされるが、肥大化による自治体財政の逼迫(ひっぱく)や、勝利至上主義の弊害がかねて指摘されていた。

 人口減少が進む中、その歪(ひず)みがあらわになっている。抜本改革なしの3巡目は考えられない。議論を早急に進めなくてはならない。

 自治体の負担は莫大(ばくだい)だ。国スポは協会と文部科学省都道府県の3者が共催する。にもかかわらず、費用の大半を県と市町村が負う。関連事業を含めた経費が数百億円規模に上った開催地もある。

 長野県も28年に信州やまなみ国スポを控えている。巨額の費用を工面しなくてはならない。

 県国スポ・全障スポ準備課などによると、開催が決まった17年度から28年度までの大会運営費の試算は70億~100億円ほど。うち9割を県が負担する。

 加えて施設整備費もかかる。例えば県松本平広域公園陸上競技場(松本市)を建て替える総事業費の見込みは約159億円。国庫補助などを活用しても、60億円以上の持ち出しになる。

 もう一つ課題がある。開催地が総合優勝してきた“慣例”だ。

 各競技は都道府県対抗で、男女総合優勝に天皇杯、女子総合優勝には皇后杯が授与される。開催地が勝利を追求するあまり、県外から有望な選手を集めるなどの「強化策」も続いてきた。

 過去に改革の試みはあった。特筆すべきは02年の高知国体だ。

 当時の橋本大二郎知事が過剰な強化に疑問を呈し、天皇杯にこだわらない方針を示した。大会運営も簡素と効率化に徹し、式典を減らし、市町村を巡る炬火(きょか)リレーも大幅に縮小した。

 国スポはスポーツの普及とともに、地方スポーツの推進と地方文化の発展を目的に掲げる。今の姿はどうか。原点に立ち戻る時だ。

 やまなみ国スポまで4年ある。一部の選手の強化と競技力向上が地方スポーツのゴールではないと肝に銘じたい。運営の簡素化、幅広い県民参加など身の丈に合う大会となるよう工夫してほしい。