「占領期最大の謎」に迫ったNスぺ『下山事件』を見て痛感…すぐれた番組が放つ「見ている者をただ黙らせる力」（２０２４年４月７日）

この番組が「真に迫る」ワケ

NHKスペシャル『未解決事件 File.10 下山事件』公式サイトより

　「下山国鉄総裁轢死事件」が起こったのは昭和24年(1949)のことである。　「下山国鉄総裁轢死事件」は、だいたい縮めて『下山事件』と呼ばれる。轢死事件と言い切るのも問題あるのだが、下山事件という呼称にも違和感がある。

昭和24年にはこの夏、この事件(7月6日死体発見)につづき、「三鷹事件」(7月15日)、「松川事件」(8月17日)と国鉄で立て続けに事件が起こる。　6週間のあいだに続けさまに起こったので「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」と3つ並べて呼ばれることになる。

　それぞれきちんと呼ぶなら、下山総裁轢死事件(ないしは下山総裁死体断裂事件)、三鷹駅列車暴走事件、松川駅・金谷川駅間列車脱線転覆事件、であって、残り2つが地名なのに、「下山」だけは犠牲者名である。少し乱暴な感じがする。それがまあ、昭和20年代らしい荒っぽさだといえば、それまでなのであるが、この呼び名には当時の空気がとても強く反映されているように聞こえる。違和感は、その時代感覚の差異にあるのだろう。

　令和6年は昭和99年にあたるのだが、その3月末、「NHKスペシャル未解決事件File.10 下山事件」が放送された。事件後75年経っている。

　このドキュメンタリーと実録ドラマが真に迫るのは、すべて実在の人物名で展開していくところにもある。

　検事も記者も二重スパイも、役者が演じているが、すべて実在のリアルな人物名で演じている。右翼の大立者、児島誉士夫も出ていた。　「下山総裁轢死事件」は、私の生まれるかなり前の事件である。　でもミステリー事件として、ときどきおもいだしたように話題になっていた。

不思議な申し出

　とてもよく覚えているのは、私が小学校4年の夏、昭和42年(1967)のこと、学校から一泊で海に行く行事があり(京都市中の小学校から福井県の海水浴場に行っていた)、そのときに「下山総裁轢死(死体断裂)事件」のことが話題になったからだ。　事件後すでに18年経っていた。ちなみに当時の殺人事件の時効は15年なので、3年前にすでに時効が成立していた。

　戦争の話や、戦後の苦労話を、みんなふつうに語っていたころの話だ。　海への一泊旅行前にいろいろと説明があった。

　持って行ってはいけないものなどの注意があり、このころ漫画雑誌は持って行ってはいけないのが普通であった。(そもそも学校に漫画の載っているものを持ってきてはいけなかった) 　そのとき、クラスメイトの一人が「この本を持っていってはいけませんか」と一冊の本を持ち出したのである。

　それが下山総裁事件の本だった。

　小学4年生がそんな本を「臨海学校」へ持っていきたい、と言いだしたのである。時代の特殊性もあるが、ちょっと不思議な申し出であったことも確かである。そうでないと56年も覚えているわけがない。

　いま調べると(こういう点ではつくづく便利な時代になったとおもう)カッパブックスから昭和38年(1963)に出ていた『下山総裁怪死事件“迷宮入り”を科学推理する』という本だったのではないかとおもわれる。著者は宮城音弥・宮城二三子。カッパブックスだから出版社は光文社である。当時このサイズの本(つまりは新書であるが)が流行っていた時代で、カッパブックスはよく見かけるシリーズであった。

　この本ですと、実物を出して教師に見せていた。

なぜ海に持っていきたかったのか

　このときの担任教師は30代の後半くらいだったのだとおもう。つまり、だいたい昭和ヒトケタ生まれ、戦争のことをしっかり覚えているが、終戦時にはまだ十代であり召集はされず、下山総裁轢死事件のときは二十歳くらいだったのではないだろうか。

　教師はこの奇妙な申し出を頭ごなしに否定するわけではなく、でもあきらかに困惑した様子になった。

　「うーん、下山総裁の事件ねえ」というような唸るような声を出して、どう説明すればいいんだろう、という雰囲気になっていた。

　聞いた当人は、事件に興味があるようだったが、ほかのクラスメイトはまったく知らない事件である。

　教師は、これはまだ真相のわかってない事件だから、というような説明をして、君たちのような年齢の子にはまだ早いのではないか、という話をした。　わからないまま聞いていたわれわれクラスメイトは、わからないままもその本が臨海学校に持って行かれるほうがいいな、とおもいはじめていた。そのほうが、なんか楽しそうだ。

　先生は、かなり丁寧に説明して、そして、その本は持っていってはいけない、家で読みなさいという話になった。われわれは落胆した。落胆したから50年を越えて覚えているのだとおもう。

　でも同時に、この子はなんでわざわざ海に持っていって読みたいって言ったんだろうともおもっていた。先生の言うとおり、家で読めばいいのに、とふつう、おもう。

　とりあえず「下山総裁轢死事件の本」は福井県には持ち込まれなかった。　ただこのあとその男子を取り囲んで、「下山事件ってなんや」と質問をしたのである。詳しくは覚えてないが、そこで少しだけ説明してもらって、そのあと家に帰って調べたような気がする。

血を抜かれていた下山総裁

　昭和42年当時の小学生の調べ物は、家にある百科事典を調べることで達せられた。

　なんとなく下山総裁轢死事件の概要を知ることになった。

　下山総裁が人員整理で悩み自殺する可能性もあったこと、死体は血を抜かれていたこと、事故現場付近で総裁を見かけたという複数の証言があった……このあたりを小学4年で知ったのだ。

　ちょうど、ミステリーじみた本を読むのが流行っていたころでもある。　推理小説や、オカルトの本などを熱心に読んでいた。下山総裁の血が抜かれていた、というのが印象的であった。

　「NHKスペシャル未解決事件File.10 下山事件」を見て、その当時(昭和42年)のことをまざまざとおもいだした。

　ドキュメンタリーがいいなとおもえるのは、理不尽な言葉遣いが現れないところにある。

　その言葉は当時存在しなかっただろうし、そもそもそういう考えは当時なかったはずだ、とこれはフィクションで描かれている過去を見るたびに、そういうことが気になる。年を取るというのはそういうことなのだろう。

　NHKもフィクションだと、そのあたりはぐだぐだなことが多い。朝ドラとか、特に目立つ。でもドキュメンタリーでは、そのあたり、しっかりしている。見ていて安心する。

　事件後75年経って、「下山総裁轢死事件」について真実に近いという部分が描かれる。おもったより絡み合う要素が多く、反共産主義の動きが激化するアメリカと、共産主義で世界を覆おうとするソ連と、日本軍勢力を静かに維持させようとする旧右翼グループがそれぞれの思惑でうごいて、事件をわかりにくくしていたようでもあった。

　日本国を何があっても共産主義化させないため、CIC(アメリカ防諜隊部隊)からキャノン機関、それに使われる元日本軍特務機関の日本人らによって計画され遂行された壮大な陰謀だった、という見立てはとても説得力があった。なにげなく見始めたら、最後まで目が離せなかった。

　役者もよかった。