今も突然思い出すことがある。
地震のあと救出された時の、父の冷たい手の感触を。
どうしても震災前のような心境にはなれない。
桜が花を咲かせているのも、きれいで癒やされる部分はあるけど、ちょっとしんどい部分もある。
時間は進んでいるけど、被災した現状は何も…と。
被災地の状況について、こちらから情報をお寄せください
3か月前のその時の様子を
建物倒れ父が…「現実受け入れられない」【被災地の声 20日】
それから3か月。
洋一さんは、今でもその時の様子を思い出すことがあります。
洋一さん
「1人でいる時ですね。突然思い出します。感触がまだ覚えているんですよね。救出された時に触った冷たい手の感触は今でも残っています。(父が)もし生きていればどうしていただろうかということを考えます。生きていたらこの場面をどういうふうに乗り切ったんだろうと」
「優しくて男気があって熱い」
漁師だった進さんは、自分の船に長男の洋一さんと次男の孝さんの名前から「洋孝丸」と名付けたこともあるような、家族思いで頼りがいのある父でした。
洋一さんが成長の過程でつまづいた時にも、いつも親身になって話を聞いてくれたと言います。
「厳しいところもありますけど、人の話をしっかり聞いてくれる、ものすごく優しくて男気があって熱い男でした。
やっぱりいろいろつまづく時ってあるでしょう。そういう場面になったときに親身になって目線を合わせて話してくれました。思い出はたくさんありすぎてひとつでは語れないですね」
実家の庭に父が残した桜の木が
「(母は)私らよりつらいと思います。一番長く、一緒にいたんですから。今は顔を見て一緒にご飯食べて話すことしかできないですけど、少しでも和らいでもらえたらと思っています」
実家の庭には、河津桜の木があります。
進さんが15年前から大切に育てていたもので、春を迎え今、見頃を迎えています。
この時期になると、洋一さんは進さんと花を眺めながら酒を飲むのを楽しみにしていました。
しかし、それはもうかないません。
桜を見上げる時も、つらい思いが残ります。
「実際きれいなんです。きれいで癒やされる部分はありますけど、やっぱりちょっとしんどい部分はあります。桜が咲いたように時間は進んでいるけど、被災した現状は何も進んでねえよって」
「立ち直ろうとはしていますけど、時折震災の時のことは思い出したりしてしまいますので、震災前のような心境にはなれないですね。まわりはちゃんと時間が進んでいますので、そこに合わせていかなければいけないんですけど、たまにはついていけない部分もあります」
この日、洋一さんは、進さんと一緒に飲むために用意していたという日本酒を口にしました。
「父は聞き上手ですから、話しやすいんですよ。もし一緒に飲むことができたら、写真みたいな笑顔でいろいろと日常的な会話や世間話で盛り上がるんじゃないですかね」
そして、父が残した桜の木については。
「来年も間違いなく咲きますよ。(桜の木は)守り抜きます」
ニュースポスト
能登半島地震 被災地からの声(随時更新)
あわせて読みたい
-
-
一度は辞退した内定 それでも、被災した地元で働く道を選んだ
-
-
「特別なものではなく、ただ日常を取り戻したいだけなんです」
-
-
津波浸水区域内で26人死亡「倒壊家屋から声」証言も 能登地震
-
-
能登半島地震 必要な支援と課題は?首長発言から【4月2日】
-
-
ギャラリーの涙
-
-
17日後、夢に出てきてくれた母「遅すぎるよ、でもありがとう」
-
-
輪島塗の職人を支援 仮設工房の利用始まる 石川 輪島
-
-
石川 七尾湾特産「能登かき」養殖業 2億円被害 廃業する業者も
-
-
能登半島地震の被災者 “自宅の耐震工事せず”7割以上
-
-
石川県内の暮らしのいま 能登半島地震3か月
-
-
【ドローン映像】「朝市通り」「輪島港」能登半島地震3か月
-
-
能登半島地震 これまでの被災地からの声(随時更新)
2024年元日、家族や知人がそろい1年の安全を祈る日。最大震度7の能登半島地震は、その平穏な時間を突然奪いました。地震発生直後からNHK取材班が聞かせていただいた遺族や被災者、被災地で活動されている方々の声です。