地下水脈(2024年3月23日『高知新聞』-「小社会」)

 東京出張の際、政治資金パーティー裏金事件に揺れる国会周辺を歩いてみた。自由民権運動から150年。明治政府に民撰議院設立建白書を出した先人なら、昨年来の混乱をどう見るのかと疑問がよぎる。

 明治維新から戦前まで、日本に民主主義は根付かなかった。いくつかの国家観がせめぎ合う中、人民の自由と権利の思想は一時の潮流となりつつも、藩閥政治が主導する帝国主義にのみ込まれていった。

 浮かんでは消える事象が、後の世にうねりとなることがある。昭和史を探究してきた作家の保阪正康さんは近著で、そうした現象を「歴史の地下水脈」と呼んだ。その視点を借りるなら、民主主義も地上に湧き出したかつての地下水脈となる。

 戦後80年近くを経てその流れは社会を潤したが、まだどこへ向かうか予断を許さない。集団的自衛権の行使容認、防衛力強化の安全保障関連3文書改定に続き、政府は次期戦闘機の輸出解禁に踏み込む。

 安保環境が厳しいことは確かとしても、国の在り方に関わる重要な問題が「政治とカネ」のどさくさに紛れてあっさりと決まっていく。果たして一連の流れが地下で不幸な過去や未来とつながっていないか。十分な説明も、議論もないままだ。

 政治、特に民主主義は違う立場や考えの人間がせめぎ合って動いていく。むろん、地下水脈を含めて。郷土の民権家は、民主主義を守ることもまたせめぎ合いだというかもしれない。