水俣病救済めぐる集団訴訟 きょう判決 熊本地裁(2024年3月22日『NHKニュース』)


水俣病と認定されず、救済策の対象にもならないのは不当だと主張して熊本や鹿児島などの140人余りが国と熊本県、それに原因企業に賠償を求めた裁判で、22日、熊本地方裁判所が判決を言い渡します。去年、同様の集団訴訟の初めての判決で大阪地方裁判所が原告全員を水俣病と認め、国などに賠償を命じており、救済対象をどう判断するか、注目されます。

熊本県水俣市天草市、鹿児島県出水市などに住む50代から100歳代の人たちは手足のしびれなど水俣病特有の症状があるにもかかわらず、水俣病に認定されていない人を救済する特別措置法で救済の対象外とされたのは不当だなどとして、国と熊本県、原因企業のチッソの3者に1人当たり450万円の賠償を求めています。

国の救済策の対象は、水俣湾周辺の「対象地域」に1年以上住んだ人で、チッソ有機水銀の排水を止めた翌年の1969年11月末までに生まれた人としていて、裁判ではこうした救済策の基準の妥当性などが争われました。

これまでの裁判で国などは「水俣病を発症する程度の水銀を摂取したとはいえない」などとして、訴えを退けるよう求めています。

去年9月、同様の集団訴訟の初めての判決で大阪地方裁判所が原告全員を水俣病と認め、国など3者に賠償を命じ、いずれも控訴しています。

11年前に始まった熊本地裁の裁判は、これまでに原告が1400人に上り、このうち審理が先行していた144人に22日、判決が言い渡されることになっていて、裁判所が救済対象をどう判断するか、注目されます。

集団訴訟の経緯

公式確認からことしで68年になる水俣病をめぐっては、これまで多くの裁判が起こされ、2度にわたって救済策が実施されてきました。

水俣病は、法律に基づき患者と認定されると一定の補償が受けられますが、熊本県などによりますと、先月末時点で認定患者は合わせて3000人となっています。

一方、水俣病と認められなかった人たちは補償などを求め、裁判に訴えてきました。

こうした中、国は1995年、裁判を取り下げることを条件に一時金などを支払う「政治決着」による救済策を実施しました。

その後、2004年には一部の原告が続けていた裁判で最高裁判所が国などの責任を認め、患者の認定基準よりも広く被害を捉えた判決を言い渡しました。

これをきっかけに再び認定を求める人たちが急増し、被害者の救済を求めて国やチッソなどに賠償を求める集団訴訟も新たに起こされました。

そこで国は「水俣病問題の最終解決を図る」として、2009年に施行された特別措置法に基づき一時金などを支給する2度目の救済策を実施しました。

この救済策では5万人以上が対象となりましたが、暮らした地域や生まれた年代で対象が区切られたことから、補償を受けられなかったり申請の締め切りに間に合わなかったりした人も相次ぎました。

こうした人たち合わせて1750人以上が、国と熊本県、それに原因企業に損害賠償を求め、水俣病が初めに確認された熊本のほか、大阪、東京、新潟の裁判所に訴えを起こしています。

このうち初めての判決が大阪地方裁判所で去年9月に言い渡され、国などが控訴しています。

新潟地裁では、来月判決が言い渡される予定です。

原告 藤下節子さん

国の救済策で「対象地域」とならなかった熊本県天草市河浦町で生まれ育った藤下節子さん(66)は、代々、家族で漁業を営み、食卓には毎日、魚が並んでいたといいます。

みずからは看護師として働くなかで、20代のころから、手のしびれを感じるようになり、注射器や薬が入った瓶を落とすこともあったということです。

藤下さんは「手術の際、指先の作業に手まどって、先生から『ほかの人に替わりなさい』と言われたことが一番情けなく、今でも悔しい」と振り返ります。

救済策では、同じ魚を食べて育った漁業者の兄2人が対象となりましたが、納得がいかず、訴えを起こしました。

藤下さんは「私たちの症状は目に見えない。裁判を続けるなかで『あんたはまだ水俣病の裁判をしているのか』『もう無理だからやめなさい。水俣病じゃないから』と言われたこともある」と話しています。

こうした中、去年9月、大阪に移り住んで救済策の対象とならなかった姉が、熊本と同じ争点で争っていた大阪地方裁判所の判決で、水俣病と認められました。

藤下さんは「『よかったね、報われたね』と声をかけた。あんたも頑張れと言われ、応えなければならないと感じた」と話しています。

藤下さんは、大阪地裁の判決が、熊本地裁の判断を後押しして、早期の救済につながる結果となることを期待しています。

藤下さんは「国、熊本県チッソが、みずからの過ちを認めて、被害者の救済をしっかりとしてほしい」と話しています。

原告 中村房代さん

原告の1人、中村房代さん(69)は救済策が対象とした地域に含まれなかった、熊本県天草市倉岳町で生まれ育ちました。

中村さんは、水俣湾などでとれた魚を知人の漁業者からもらったり、行商人から購入したりして、子どものころから毎日、食べてきたといいます。

水俣病特有の手足のしびれといった感覚障害などを発症したのは20代のころでした。

年々、症状は悪化し、日常生活のほか、夫婦で長年営んできた真珠の養殖業では、貝の中に真珠の元となる核を入れるなどの細かい作業ができなくなり、仕事に関わることが難しくなっているといいます。

中村さんは「しびれ、そして、震えが止まらない。仕事中にも急にくる。思うように体が動かず、本当に情けない」と話しています。

救済策には、夫の勧めで申請しましたが、結果は「非該当」で、倉岳町が救済策の対象とした地域に含まれないことから、過去に汚染された魚を食べたとは認められませんでした。

そこで、司法に救済を求めました。

中村さんは、町の港からわずか5キロほどの場所に対象地域があることや同じ町内にも救済された人がいることについて「不公平だと思う。周りの人たちも同じ食生活だった。海はつながっていて、線を引いても一緒だと思う。悔しさと憤りを感じる」と話しています。