同性婚判決(に関する社説・コラム2024年3月21日)

早急な議論を迫る同性婚判決(2024年3月21日『日本経済新聞』-「社説」)

同性婚を巡る訴訟で初の高裁判断となった札幌高裁判決を受け、高裁前でメッセージを掲げる原告ら(14日午後)=共同

 同性婚を認めない民法などの規定は憲法違反かが争われた訴訟で、札幌高裁は「違憲」との判断を下した。国に早急な議論を迫ったものといえる。

 焦点となったのは、婚姻の自由を定めた24条1項と、個人の尊厳に立脚した立法を求めた同2項、法の下の平等を定めた14条に違反するかだった。高裁判決はいずれも反するとした。

 とくに「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」などとする24条1項について、文言だけでなく目的と時代の変化を踏まえて解釈するとの立場を強調。「人と人との自由な結びつきとしての婚姻」を含み同性婚も保障するという初めての判断をした。

 重視したのは同性カップルの置かれた厳しい状況だ。現行制度のもとでは、同性カップルは互いの法定相続人になれず、共同で子どもの親権を持つこともできない。税や社会保障でも不利となる。

 判決は、社会生活上の不利益に加え、アイデンティティーの喪失感を抱くなど「個人の尊厳をなす人格が損なわれる事態となっている」とした。同性婚を可能としても社会に「不利益や弊害の発生はうかがえない」とも述べた。

 一連の訴訟は全国5地裁で6件起こされ、今回が初の控訴審判決だった。地裁段階の6判決は「違憲」が2件、「違憲状態」が3件で、「合憲」は1件にとどまる。

 社会の状況は大きく変化している。自治体によるパートナーシップ制度や企業の取り組みも広がった。世論調査でも同性婚への賛成が増えている。主要7カ国(G7)のなかで、同性カップルへの法的保障がないのは日本だけだ。

 判決は、国が立法措置を怠ったとまではいえないとし、賠償請求は退けた。しかし「早急に真摯な議論と対応をすることが望まれる」と付言した。同性カップルが家族として尊厳を持って暮らすためには、どのような法整備が必要なのか。度重なる司法からのメッセージを重く受け止め、国会や政府の場で議論を急ぐべきだ。 

同性婚の法制化 「違憲」の放置許されない(2024年3月21日『西日本新聞』-「社説」)

 

 日本では愛する人が同性というだけで法的な婚姻が認められない。税制や社会保障で不利益を受け、個人の尊厳も傷つけられる。

 こうした同性愛者の苦しみに寄り添う画期的な判決が出た。政府や国会は同性婚の法制化に直ちに着手すべきだ。

 同性婚を認めない民法と戸籍法の規定が憲法違反かどうかが争われた訴訟の控訴審判決で、札幌高裁はほぼ全面的に「違憲」と判断した。

 同種の訴訟は福岡など全国5地裁で6件起こされ、一部の規定を「違憲」や「違憲状態」とする判決が相次ぐが、初の高裁判断が最も踏み込んだ内容となった。

 特筆すべきは、憲法24条1項が定める婚姻の自由は、同性間の婚姻も保障するとの判断を初めて示したことだ。

 24条1項の「両性の合意」に関し、国は「両性は男女を示す」と同性婚を認めない根拠にしてきた。

 これに対し、札幌高裁判決は「人と人との自由な結び付きとしての婚姻」が含まれ、同性婚も認められると解釈した。制定当初は同性婚を想定していなかったと指摘した。

 誰もが個人として尊重されるべきで、パートナーが異性でも同性でも「婚姻の自由」が保障されるのは当然だ。基本的人権にのっとった価値ある判決と言える。

 近年は戸籍の性別変更や職場のトイレ使用など、性的少数者の気持ちをくみ取った最高裁判決が続いている。背景には社会の変化がある。

 多様な家族観や性的少数者の権利に対し、国民の理解が進んでいる。昨年5月の共同通信社による世論調査では、7割が同性婚を「認める方がよい」と回答した。

 同性カップルを公的に認定する自治体のパートナーシップ制度も広がる。民間団体の調査によると約400自治体が導入し、対象は総人口の8割に相当するという。

 対照的に政府や国会の動きは鈍い。岸田文雄首相は札幌高裁判決後も「引き続き判断を注視したい」と従来の答弁を繰り返すばかりだ。同性婚に否定的な保守層への配慮だろうか。自民党内の議論を求めるべきだ。

 同性婚を認めれば伝統的な家族観が損なわれる、とする考えは根強い。少数者の人権を犠牲にしてまで現状維持を主張するなら、社会に与える影響や根拠について説得力ある説明が必要だ。

 札幌高裁は「同性婚の制度を定めても不利益や弊害はうかがえない」としている。

 性的指向は趣味や趣向ではなく、生まれながらに備わる個性である。差別的な取り扱いがあってはならない。

 同性婚は新しい制度を作るのではなく、現行制度を同性間に広げるだけでよい。決して難しいことではない。同性婚が可能な国・地域は30を超える。

 政府や国会は社会の変化を受け止め、議論をこれ以上放置してはならない。