空襲被害者の救済(2024年3月14日『しんぶん赤旗』-「主張」)

差別なき戦後補償刻も早く
 1945年3月13日深夜から14日未明にかけ、大阪は米軍の無差別爆撃を受け約4千人が犠牲になりました。3日前の10日には東京・下町が火の海となり一夜で約10万人が死亡しました。米軍はこの東京大空襲の直後から名古屋、大阪、神戸などを攻撃し、その後各地への無差別爆撃は終戦当日の8月15日まで続きました。

被害を広げた国の責任
 国が始めた戦争で多くの命が奪われ、多数の子どもが孤児となりました。心身に深い傷を負った人も多くいます。日本政府は79年もの間、空襲被害者への謝罪と救済を拒んでいます。これ以上、死者と被害者の尊厳を奪うことは許されません。

 アジア・太平洋戦争末期の米軍による無差別爆撃は明らかな国際法違反です。同時に被害を拡大させ、国民に大きな犠牲を強いた日本政府の責任は重大です。政府は防空法制で「空襲から逃げるな。火を消せ」と国民に退去禁止と消火活動を命じ、違反者を処罰しました。戦争遂行のため「空襲は怖くない。焼夷(しょうい)弾は消せる」と偽りの情報を流して統制しました。

 日本政府に国家賠償と謝罪を求めてたたかった大阪空襲訴訟は、大阪地裁と同高裁でいずれも原告の請求が棄却され、2014年に最高裁で敗訴が確定しました。一方、地裁と高裁は判決で、防空法制と情報統制という国策で国民が危険な状態に置かれたことを認めました。高裁判決は「隣組として防火活動に従事することが国民の責務であるといった思想を植えつけ」たと、政府による思想統制も認定しました。国の誤った政策が民間人の空襲被害を甚大にしたのです。

 ところが戦後日本政府は「戦争は等しく受忍すべきだ」という受忍論で、民間の空襲被害者を救済措置から切り捨てました。一方、元軍人・軍属や遺族には総額60兆円を超える補償をしています。全国空襲被害者連絡協議会は「差別は戦争被災者への人権侵害である」と訴え「差別なき戦後補償」を求めて立法運動にとりくみ、国会への働きかけもしてきました。

 超党派議員連盟は空襲などで心身に障害を負った民間被害者への一時金支給、被害の実態調査、追悼施設の設置を柱にした救済法案をまとめています。しかし自民党内の一部が反対し、国会提出は何度も先送りされています。

 自民党は被害者救済に背を向けたまま、集団的自衛権の行使容認、敵基地攻撃能力の保有、5年間で43兆円の大軍拡、殺傷武器の輸出解禁と「戦争する国づくり」を加速させています。救済の放棄と戦争準備は表裏一体のものです。

市民の殺傷を繰り返すな
 空襲被害者はウクライナやガザの悲劇を自分の体験と重ね、心を痛めています。空襲被害者らが一番に求めるのは国による謝罪です。二度と戦争を起こさせない、自分と同じような被害者を生ませないためです。岸田政権はこうした被害者の心からの願いを踏みにじっています。

 日本が輸出する武器で他国の市民が殺され、傷つき、悲しみと苦しみを抱えて生きる姿を、なぜ想像できないのでしょうか。政府は戦争の準備ではなく、被害者に真の謝罪と補償を行い、憲法9条を生かした平和外交を追求すべきです。