トロトラスト被害 今日に続く課題、検証せよ(2024年2月26日『信濃毎日新聞』-「社説」)

 トロトラストとは、放射性物質を含む造影剤だ。1930年にドイツで開発され、日本では30~40年代を中心に、旧陸海軍病院などで使われていた。

 有効性は高いが、肝臓や脾臓(ひぞう)に沈着し、内部被ばくによりがんなどを引き起こし問題となった。

 76年までに健康被害が報道で指摘され、国は77年度以降、傷痍(しょうい)軍人のうち希望者を検査し沈着が認められた人には恩給を増額。一部には治療費を補償してきた。

 他方、民間人は国の支援から置き去りにされてきたことが、本紙の調査報道で明らかになった。県内在住の人も確認されている。

 トロトラストが使われた当時、副作用を国に報告する制度がなかった―。厚生労働省は確認が難しかったことを理由に挙げる。

 この説明には無理がある。戦前から各地の官立(国立)医科大病院で使われ、民間人への投与を報告する論文も複数ある。

 戦後は、科学技術庁(現文部科学省)の研究所が60年代前半から健康被害の研究に着手。民間人の症例を多数把握していた。

 民間人に使われていたことは、自明の理だ。なのにその被害が顧みられず、軍人の恩給問題に矮小(わいしょう)化されたのはなぜなのか。

 患者自らが被害を訴えるのは難しい点に、注意が要る。投与からがんの発症までには長いタイムラグがある一方、発症すると1年以内に亡くなる人も。戦争を挟んだ混乱期でもあり、投与を知らなかった人もいるだろう。

 国は78年の国会答弁で、使われたのは2万~3万人との見方を示している。この時点で実態調査に踏み切っていれば、救済が間に合った患者もいたはずだ。

 メディアの姿勢も問われる。この問題は人々の記憶から忘れ去られていた。民間人の健康被害に着目して掘り下げていたら、事態は変わっていたかもしれない。

 医療界から問題提起はできなかったのだろうか。トロトラストの患者を診ていた臨床医や、病理医は各地にいた。

 沈着が判定された軍人は、既に全員が亡くなった。だからといって終わった話にはならない。

 戦後補償における軍人と民間人の差別、省庁の縦割り体質、薬害救済を巡る厚労省の視野の狭さ、マスコミの不作為…。この問題の根底には、今日まで続く課題が横たわっている。

 この薬害で何が見落とされていたのか。記録を掘り起こして検証する作業を怠ると、社会の未来に禍根を残す。