心のケア/息長く寄り添う体制強化を(2024年3月13日『神戸新聞』-「社説」)

 2011年3月11日に発生した東日本大震災と福島第1原発事故は、被災者の「心のケア」に関するさまざまな課題を浮き彫りにした。

 発生直後からこころのケアチームが全国から駆け付けたものの、調整不足で特定の避難所に支援が偏るなど混乱した。精神科病院の入院患者に対する支援が遅れ、避難を機に多くの患者が亡くなる事態も生じた。

 中長期的な影響は今も続く。心の復興には生活基盤の立て直しが欠かせないが、避難生活が長引き心の不調を訴える人は少なくない。

 被災者の苦しみを受け止め、経験と教訓を能登半島地震などの被災地支援に生かさねばならない。

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 東日本大震災の教訓から、13年に災害派遣精神医療チーム(DPAT)が各都道府県につくられた。初めて全国から派遣された16年の熊本地震では、倒壊の恐れがある精神科病院などから患者を避難させた。

 元日に起きた能登地震では、先遣隊が情報収集や各チームの調整に当たり、初期の混乱を回避した。ひょうごDPATの医師ら3人も発生9日目から避難所などを巡回し、子どもを亡くした夫婦らを支えた。

 ただ、DPATはあくまで初期段階の支援を想定し、被災者の継続的なケアは難しい。医師や看護師、事務職員など登録者は4千人を超えるが、近年は伸び悩む。派遣元は民間病院が多く、診療報酬上のメリットがないことなどが背景にある。

■被災者の信頼大事に

 2月22日に京都市で開かれた日本災害医学会総会・学術集会で、DPATをテーマにしたシンポジウムの座長を務めた加藤寛兵庫県こころのケアセンター長は「DMAT(災害派遣医療チーム)が息の長い支援に向けて活動を見直す中、DPATも在り方を考え直す時期に来ている」と問題提起した。

 DPATは設立から10年を迎えた。苦い教訓を糧に成長した組織を、さらに進化させる必要がある。


 能登地震を受け、石川県はこころのケアセンターを発足させ、被災者の電話相談に応じる。中長期的な心のケアは地元自治体や医療機関、保健所などが担うのが基本だ。だが、東日本の被災地と同様、過疎化が進む能登ではマンパワーが圧倒的に足りない。人材育成と効率的なケアを両立するには、DPATがノウハウを提供することも考えたい。

 阪神・淡路大震災は、被災者の心のケア「元年」とされる。全国から支援チームが駆け付け、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの言葉も広く知られるようになった。

 被災者の多くは眠れず、イライラしたり、不安になったりする急性ストレス反応を起こす。時間の経過とともに回復する人が多いが、PTSDなど心の病気になる人もいる。

 ただ、PTSDを発症した人も7割程度は自力で回復するとされる。傷が癒えない人を見つけ、専門家の治療につなぐ役割が求められる。

 阪神・淡路の発生5カ月後、長期的支援を図る兵庫県精神保健協会こころのケアセンターがつくられ、精神科医や心理士が集められた。加藤さんは初期から携わったが、当初は地域の保健師らからも被災者からも受け入れられなかったという。

 「信頼関係のない精神科医らが仮設住宅などを回っても、被災者は心の内を明かそうとしない。心のケアは地元の保健活動が主体となるべきだ」と加藤さんは強調する。

■求められる「名脇役 

 東日本大震災では、支援者をどう支えるかも課題となった。自治体の職員には目の前で同僚が津波に流され、家族や自宅を失った人も多い。心身のストレスを募らせ、自ら命を絶った人もいる。寄り添い、業務をサポートしつつケアにつなげたい。

 ひょうごDPATの活動マニュアルには「名脇役であれ」と記されている。主役である地元の保健師や看護師らの活躍を息長く支えるために力を尽くす存在は欠かせない。加藤さんらが被災地で苦悩した経験から得た理念と活動を全国に広げ、根付かせていかなければならない。