【震災13年 記憶と教訓】世代を結び継承へ(2024年3月12日『福島民報』-「論説」)

 未曽有の被害をもたらした東日本大震災東京電力福島第1原発事故は、一方で県内に何を芽吹かせたのか。福島市で11日に催された復興祈念式で、教訓をしっかりと受け継ぎ、伝えようとする多くの10代の決意だと気づかされた。大人は実体験を語り、子どもは災害の恐ろしさ、備えの大切さを考える。そんな世代間の対話を深める永続的な営みが発生14年目に入り、災禍の記憶と教訓を次代に伝える上でますます重要になる。

 相馬高出版局は震災と原発事故が発生して以降、「記憶を記録し、継承する」を合言葉に毎年3月11日、相馬高新聞・震災特別号を発行している。生徒3人が祈念式で活動内容を発表した。

 「自分たちが震災の記憶がある最後の世代」「今後の相馬高新聞は震災を知らない世代が作り、震災を知らない世代に伝える活動になっていく」との言葉が印象に残る。震災世代が遠のく現実は行政、警察、消防、医療、そしてマスコミ業界など、有事の現場に立つ多くの分野に忍び寄る風化の構造にも通じる。

 相馬高をはじめ県内12校の新聞部、新聞委員会など13団体の生徒は、震災と原発事故発生10年に合わせて日本語、英語両版の「ふくしまをつたえる新聞」を作成し、関係先に配布している。新聞づくりに限らず、復興の歩みを学んだり、記録したりする生徒の地道な取り組みは続いている。

 思い返せば、小中学、高校生らにも震災、原発事故との過酷な闘いがあった。津波で家を失い仮設住宅からの通学、原発事故で散り散りになった友達、古里から遠く離れた仮校舎での勉強。遊びや運動が欠かせない成長期の長引く屋外活動制限で、健康への影響や体力の低下を招いた年代もある。震災を知らない世代でも、新型コロナ禍による学校の長期休業や行動制限で日常が奪われた苦しみを重ねれば、当時の同世代の思いを理解できるはずだ。

 共感する心は、震災と原発事故を自分事と捉え、行動へ導く大きな力になる。社会はいつか、災禍を知らない世代に置き換わる。県内の語り部や伝承団体とともに、将来へのつなぎ手となる若い世代の自発的な活動を応援するのも教育、地域、大人社会の大切な役割だと、改めて胸にとどめたい。(五十嵐稔)

 

「わたしがここにいる」(2024年3月12日『福島民報』-「あぶくま抄」)

 わたしは、双葉町の浅野撚糸に勤める19歳の女子社員。カフェで接客を担当し、訪れた皆さんを、温かなコーヒーでもてなしています―。館内では、糸を撚[よ]り合わせる機械が忙しく回る。「きょうも、張り切って」。無言の励ましを受けているよう

いわき市小名浜で生まれ育った。大きな揺れを忘れはしない。幼稚園の中にいた。逃げ出たお庭は割れ、水が噴き出していた。友だちと泣きじゃくった。小学校の入学式は延期され、給食は出なかった。「古里のお役に立ちたい」と思うようになったのは、いつ頃からだろう。この会社でなら、と選んだのが今の職場だ

▼今年初め、高校生の視察を受けた。同じ世代として説明役を任された。突然、質問が飛んだ。「復興とは何でしょうか」。とっさに口をついて出た。「わたしがここにいること」―。この手で建物を造れる訳ではない。でも、何かお手伝いはできる。不便を感じる時もあるけど、双葉で暮らし、働き続ける。決意は揺るがない

▼女子社員の言葉はSNSを通じて全国に広がり、共感を呼んだ。今いる場所で踏ん張る県民176万人の思いを撚り合わせよう。太く強い復興の糸になる。さあ、14年目の明日へ。