震災13年に関する社説・コラム(2024年3月10日)

原発 住民避難、複合災害前提に(2024年3月10日『河北新報』-「社説」)

 能登半島地震の被害を目の当たりにして、原発事故を伴う複合災害に危機感を覚えた
 東日本大震災東京電力福島第1原発事故から13年が過ぎようとする中、中学2年生以降は震災後に生まれた子どもとなる。震災を知らない次世代に、教訓などをどのように伝えていくのかを考えていかなければならない。

 震災の被災地では、被災の経験や課題などを自分の言葉で伝える「語り部」の活動が進められている。災害伝承学が専門の東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授は、震災の記憶を伝える意義として3点を指摘する。

 1点目は、地震津波などの災害時に命を守るメッセージを送ること。2点目は、危機に遭遇した人が生きるために行った助け合いなどの取り組みを伝えること。最後は被災地の教訓に触れた人に、自分が社会的問題に直面した時どう行動するか考える力を身に付けてもらう効果があるという。

 廃炉や中間貯蔵施設など、本県で継続中の課題の多くは原子力災害に由来する。本県の震災伝承においては、災害時に命を守るメッセージを伝えることに加え、単純に答えの出ない問題の背景を丁寧に語り、共に考えてもらう側面を強化していくことが重要だ。

 広島と長崎で「二重被爆」した曽祖父の体験を語っている長崎県の高校生が浜通りの被災地を訪れた。本県の語り部の話を聞き「経験者の話を直接聞くことができるのはいいな」と語った。戦争の惨禍を伝える長崎などでは、直接の体験者が高齢化している。本県の関係者からは「福島も同じような状況になる」との声が上がる。

 本県では本年度から伝承者育成講座が設けられ、語り部を増やす取り組みが始まったばかりだ。将来を見据えるならば、震災の記憶がある世代が健在なうちに、学校現場などを有効に活用し、若者に教訓を伝えるとともに、経験者の記憶や思いを「未経験者」が継承してバトンをつなぐ仕組みを構築していくことが欠かせない。

 双葉町東日本大震災原子力災害伝承館では、新たな試みとして企画展「人が語る原子力災害」を実施している。原発事故で避難を経験した人にインタビューし、当時の気持ちや状況を「語りパネル」「自分史年表」などの展示を通じ来場者に伝える内容だ。

 本県の複合災害の被害は強制的な避難だけではなく、放射性物質への不安や風評被害など多様であり、全てを語り部から聞くことは難しい。伝承館などの施設が語りの力を取り入れた展示を進め、県内の各種学校などが訪れて、それぞれの学びにつなげる機会を意識的に増やすことが求められる。

 

震災13年・伝える意義/次世代と課題考える契機に(2024年3月10日『福島民友新聞』-「社説」)
 
 東日本大震災東京電力福島第1原発事故から13年が過ぎようとする中、中学2年生以降は震災後に生まれた子どもとなる。震災を知らない次世代に、教訓などをどのように伝えていくのかを考えていかなければならない。

 震災の被災地では、被災の経験や課題などを自分の言葉で伝える「語り部」の活動が進められている。災害伝承学が専門の東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授は、震災の記憶を伝える意義として3点を指摘する。

 1点目は、地震津波などの災害時に命を守るメッセージを送ること。2点目は、危機に遭遇した人が生きるために行った助け合いなどの取り組みを伝えること。最後は被災地の教訓に触れた人に、自分が社会的問題に直面した時どう行動するか考える力を身に付けてもらう効果があるという。

 廃炉や中間貯蔵施設など、本県で継続中の課題の多くは原子力災害に由来する。本県の震災伝承においては、災害時に命を守るメッセージを伝えることに加え、単純に答えの出ない問題の背景を丁寧に語り、共に考えてもらう側面を強化していくことが重要だ。

 広島と長崎で「二重被爆」した曽祖父の体験を語っている長崎県の高校生が浜通りの被災地を訪れた。本県の語り部の話を聞き「経験者の話を直接聞くことができるのはいいな」と語った。戦争の惨禍を伝える長崎などでは、直接の体験者が高齢化している。本県の関係者からは「福島も同じような状況になる」との声が上がる。

 本県では本年度から伝承者育成講座が設けられ、語り部を増やす取り組みが始まったばかりだ。将来を見据えるならば、震災の記憶がある世代が健在なうちに、学校現場などを有効に活用し、若者に教訓を伝えるとともに、経験者の記憶や思いを「未経験者」が継承してバトンをつなぐ仕組みを構築していくことが欠かせない。

 双葉町東日本大震災原子力災害伝承館では、新たな試みとして企画展「人が語る原子力災害」を実施している。原発事故で避難を経験した人にインタビューし、当時の気持ちや状況を「語りパネル」「自分史年表」などの展示を通じ来場者に伝える内容だ。

 本県の複合災害の被害は強制的な避難だけではなく、放射性物質への不安や風評被害など多様であり、全てを語り部から聞くことは難しい。伝承館などの施設が語りの力を取り入れた展示を進め、県内の各種学校などが訪れて、それぞれの学びにつなげる機会を意識的に増やすことが求められる。

 

記憶のリレー(2024年3月10日『福島民友新聞』-「編集日記」)

 能登の漁師に向けて助言を―。いわき市小名浜の漁師に対し、北陸中日新聞記者の岩本雅子さんは問いかけた。底引き網漁師の志賀金三郎さんは「いまは辛抱の時。いつか必ず漁に出られる日が来る」。志賀さんは能登の漁師に励ましの声を送った

東日本大震災後、志賀さんら漁師は2年7カ月もの間、海底のがれき処理に追われた。石川県珠洲市の漁港では海底隆起により船が出られない状況が続く。岩本さんの質問は、本県の経験を北陸復興につなげたいとの思いから出たものだろう

▼震災後に入社した全国の新聞社の記者約20人が、東京電力福島第1原発や本県の現状を取材に訪れた。いまや震災関連のニュースは、被災地以外ではどんどん扱いが小さくなっている。今後、全国にどう伝えていくかが問われる

▼被災していない人に災害報道をわが事として捉えてもらうには、どんな視点や工夫が必要か。「津波てんでんこって何」「原発で何かあった際の避難経路は」。若い記者たちは住民の命を守るための記事をどう発信していくかを議論した

▼全国の地方紙記者の手によって、震災の記憶と知見のバトンがつながれていく。そのリレーが被災地を優しく包む大きな輪をつくる。

 

【震災13年 小峰城石垣修復】白河発の知見を生かす(2024年3月10日『福島民報』-「論説」)

 

 清水門復元が話題となり、華やぐ白河市国史跡・小峰城跡は、東日本大震災で石垣が大規模崩落した。国は小峰城での取り組みを、自然災害による文化財石垣修復の成功事例と評価する。修復で得られた知見は、熊本城や丸亀城、そして能登半島地震で一部崩落した金沢城の修復にも生かされている。震災を経て得られた白河発の知的成果が、全国の歴史遺産の復旧に果たす役割に注目したい。

 小峰城寛永6(1629)年から4年をかけて丹羽長重が築いた。震災では現存する約2キロの石垣のうち10カ所で崩落し、6カ所が大きくたわむ被害を受けた。震災での最大の文化財被害と位置付けられた。

 修復では、崩落した石垣の石一つ一つに「カルテ」が作成された。各個に通し番号、形状や重量、崩落後に見つかった場所などを記した。たわんだ部分の石についても作成され、カルテの数は約1万3千に及んだ。震災前の写真データを基に、崩落前の石の場所を特定し、江戸時代の工法による復元に役立てた。

 それまで崩落石垣の復旧は原状回復を最優先に、土木工事として行われてきた。小峰城で方針が変更された点が意義深い。また、震災発生7カ月前に国史跡指定を受け財政支援が期待できたこと、「どんなに時間がかかっても、歴史に忠実な姿に戻す」と市が決断したことが、8年間に及ぶ作業を可能にした。

 2016(平成28)年の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城の石垣復旧でも、小峰城の知見が生きた。白河市の担当者が被害発生直後に現地を訪れ、文化財としての石垣保存の初動の在り方と、石のカルテ作りを助言した。2018年の西日本豪雨などを原因とした香川県丸亀城の石垣被害では、丸亀市職員が白河市を訪れ、修復に関する説明を受けた。金沢城の石垣崩落では白河市の担当者が現地の調査研究所を訪ね、初動対応のノウハウを伝え、意見を交換している。

 小峰城の石垣修復は2019年3月に完了した。「遠回りしたことで、貴重な知見を得られた」と市の担当者は振り返る。自らを鼓舞し、膨大な作業に挑んだ関係者と、粘り強く応援した市民との協働の成果だと、末永く伝えられるべきだろう。(広瀬昌和)

 

赤ランプ(2024年3月10日『福島民報』-「あぶくま抄」)

 

 歌手のさだまさしさんは震災3年目の春、奈良から東北へ向かう。移動のトラックに長さ13メートルの松明[たいまつ]を積んでいた。被災地に掲げて復興を祈り、災禍に遭った人々を笑顔にしたい―。遠路みちのくへ、気持ちはさぞ急いでいただろう

▼本県の高速道路に入り、パトカーの指示で停車した。荷台からはみ出た部分に赤い布を結んでいたが、「夜間に義務付けられている赤ランプがついていない」と叱られたそうだ。事情を懸命に説明すると、警察官は私物のランプをくれた。励ましの言葉を添えて(さだまさし著「さだの辞書」)

▼あす11日で震災と原発事故から13年を迎える。幾重もの優しさが積もり、共鳴し合って、被災地に明かりをともしてきた。企業などが首都圏で取り組んだ支援活動を、県はホームページで伝えている。「残念ながら全てを紹介できない」とのお断りを入れて。数え切れない思いが胸にぐっとこみ上げる

能登に心を寄せる今年は特別な「3・11」。さださんは「いのちの理由」で歌う。♪私が生まれてきた訳は 何処[どこ]かの誰かに救われて 何処かの誰かを救うため―。福島から北陸へ恩送りを。ほんのりと温かな春色のランプを目印に添えて