除染対象は一部だけ…「それで生活できるのか」福島・浪江の鴫原さん夫妻 不安を抱えながら帰還の時を待つ(2024年3月12日『東京新聞』)

 1日も早く除染してもらい故郷の家に帰りたいけど…。東京電力福島第1原発事故から13年。今も避難指示が続く区域の解除に向け、帰還を希望する人の家と道路などを除染する取り組みが始まった。地域のごく一部の除染だけで生活はできるのか。住民の不安は消えない。(片山夏子)

◆避難先から家に着けば、笑顔になる

ログハウスを背に笑顔を見せる鴫原真三さん(左)と妻のトミイさん

ログハウスを背に笑顔を見せる鴫原真三さん(左)と妻のトミイさん

 青空が広がる中、30センチほど積もった雪をかき分け、福島県浪江町南津島の山あいにある鴫原(しぎはら)真三さん(73)とトミイさん(65)の家に向かった。今は同県田村市内で暮らす。
 「小川にはイワナやヤマメがいて。家から見える山や田畑が広がる風景が好きだった」。家に着くと、トミイさんは笑顔になった。
 
 福島第1原発からは約30キロ。2011年3月11日の東日本大震災時は酪農をしていた。揺れは激しかったが、真三さんの父が戦後山を開拓して建てた家は無事だった。津島の放射線量が高く、避難が決まった後も「ベコ(牛)いっから避難できねぇ」と1週間ほど残った。だが福島の牛乳から放射性物質が検出されるとあきらめざるを得なくなり、泣く泣く牛を手放した。
 「75歳まで酪農をやるつもりだった」と真三さんは悔しがる。酪農を軌道に乗せるのは10年かかり、再開は厳しい。でも、生まれ育った津島に帰りたいという思いが日に日に募った。

◆「汚染が高かった地域は一番丁寧にやるべきじゃないか」

ログハウスで話す鴫原真三さん(右)と妻のトミイさん

ログハウスで話す鴫原真三さん(右)と妻のトミイさん

 避難指示区域が除染されていく中、津島の番を待ちわびた。真三さんは「他の除染が早く終われば次は津島だ」と思い、津島の南にある川内村の除染作業を何年もした。津島も当然、他の地域と同じく全域が除染されるのだと思っていた。
 しかし、津島は既に避難指示を解除した「特定復興再生拠点区域」の中心部以外は、鴫原さんの自宅も含めて帰還希望者の家の周りなどを除染する「特定帰還居住区域」になった。「汚染が高かった地域は一番丁寧にやるべきじゃないか。希望したらそこだけやりますってなんだ」。真三さんは信じられなかった。
 「家と道路の除染だけで生活できるのか」。トミイさんは声を落とした。親しかった近所の男性は亡くなり空き家に。助け合ったコミュニティーはない。近くに店や病院はなく、コメや野菜も作れない。除染されていない山に囲まれ、放射線量が戻ったら再び除染してくれるのか。何よりいつ帰れるのか。年齢を考えると不安が尽きない。
 それでも真三さんが震災前10年かけて造ったログハウスに夫婦で戻り、津島で暮らしたいという思いは強い。「あんたら好きに帰ったらと投げられちゃったらやってけない。帰すならちゃんと除染をしてほしい」 
 

 特定帰還居住区域 帰還困難区域のうち、住民の希望を基に除染範囲を定め、避難指示解除を目指す区域。2023年9月に大熊、双葉両町で初めて指定され、浪江、富岡の計4町にある。12月に大熊、双葉で除染が始まった。浪江町の区域は希望した全256世帯の宅地や農地が入り、帰還意向のない近隣住民の住宅なども含めた。政府は2029年までに希望者全員の帰還を目指している。

 

ログハウスで笑顔を見せる鴫原真三さん(右)と妻のトミイさん

ログハウスで笑顔を見せる鴫原真三さん(右)と妻のトミイさん