南三陸町で津波から327人救った高野会館 生まれた東西のつながり 能登、次の震災へ 記憶つなげる(2024年3月11日『産経新聞』)

327人が屋上などに避難し無事救助された高野会館=2月26日、宮城県南三陸町橋本愛撮影)

 

東日本大震災で大きな被害があった宮城県南三陸町で327人の命を救った建物がある。震災遺構になった「高野会館」。保存を巡って生まれた東西のつながりが、全国の被災地を結び教訓を語り継ぐネットワークとなった。東北、阪神能登、そして将来へ。記憶は受け継がれる。

「3階の窓から津波が来たのが見えて、これはだめだと。水が引くと下の階から引き上げたペットボトルを潮水で洗って、みんなで蓋2、3杯分を分け合ったんです」

三陸ホテル観洋で2月26日、高野会館の記憶を語り継ぐ「3・11の集い」が開かれた。海から200メートルほどの結婚式場だった高野会館では震災当日、集会が行われていた。津波到来を予想した会館責任者らが327人を屋上などに避難誘導し、全員が無事救助された。

集いを主催したのは、高野会館の保存に取り組むホテル観洋の女将(おかみ)、阿部憲子さんと、阪神大震災の遺構保存活動を続けてきた宮本肇さん、三原泰治さんら。

平成27年、高野会館の保存、活用を模索していた阿部さんが、当時宮本さんが総支配人を務めていた北淡震災記念公園(兵庫県淡路市)を訪ねたことで交流が生まれた。東西を超えた高野会館保存プロジェクトが発足した。

同時に、全国の被災地をつなぐ語り部シンポジウムも開始。ホテル観洋と同記念公園が主体となり、毎年東西で交互開催して宮城、神戸、熊本などで語り部のネットワークを広げてきた。

この日、ホテル観洋で行われた集いでは、高野会館で命をつないだ男性が当時屋上で撮影した津波の写真とともに経験を語り、三原さんが作詞作曲した「てんでんこ」の歌を合唱した。地震が起きたら津波が来る。てんでんばらばらに逃げよ―。命を救う津波てんでんこの精神を伝えようという思いを込めた。


震災の記憶は能登にも受け継がれている。「能登の人は東日本の津波を思い出してすぐに逃げた」。石川県で活動する歌手、三輪一雄さんは、能登半島地震での被災体験を語った。元日、穴水町の海沿いの実家で被災。大津波警報を聞き、すぐに母と高台に避難した。「教訓が生かされていた」と話す。

てんでんこの歌は南三陸町だけでなく、神戸市のイベントでも披露されている。「南海トラフ巨大地震は必ず来る。それでもまだ西日本では津波への意識は低い。教訓をもっと伝えていきたい」と宮本さんは話す。

橋本愛


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