女性解放運動を先取り(2024年3月10日『宮崎日日新聞』-「くろしお」)

 宇宙服をまとう少女。鋭い視線は時代の最先端をとらえているようだ。宮崎市安井息軒記念館(同市清武町)で開かれている企画展「息軒の娘」(24日まで)のポスターに描かれたイラストには息をのんだ。

 幕末の儒学者・安井息軒は二男四女に恵まれたが、この娘は宮崎で生まれた長女須磨子(1828~1879年)のこと。イラストの少女とは時代を大きく隔てているが、彼女の時代にあっては規格外のまさに”とんだ”考えの持ち主だったことが展示から分かる。

 息軒が開いた三計塾からは日本の近代化に貢献する人材を数多く輩出したが、須磨子は塾生よりも学問ができたという。さらに子どもの頃から弁が立ち大の議論好き。子どもの教育には放任主義だった息軒もしばしば手を焼いて「言動を慎む」ようにアドバイスしている。

 彼女は1876年、宮崎の女性に出した手紙に「今の時代は男女の区別なく、実力次第で取り立てられる。子どもに学問を」と書いている。当時は福沢諭吉ら男女同権を説く思想家はいたが、女が男の仕事を補完する分業論にとどまっていた。いかに須磨子が先進的な思想の持ち主だったか分かる。

 同館の青山大介学芸員は「少し後に生まれていたら女性解放運動の中心的な役割を担ったはず」と残念がる。都道府県版ジェンダー・ギャップ指数の政治分野で全国46位の本県。封建時代に、男尊女卑の壁を飛び越えた女性が地元にいたことを知ってほしい。