「よう昭和なんかやりますなあ。ボクには日露戦争がやっとやな」。京都大大学院生時代に作家の司馬遼太郎さん宅を訪ね、こう言われた。日露戦争での「乃木神話」を崩した小説「殉死」で抗議を受けた経験が頭にあったらしい
▲満州事変を研究し、戦前、なぜ軍部が暴走したかが共通の関心事だった。国民的作家がサインした歴史小説「義経」をもらった大学院生は「広い政治的視野と全体的判断力を欠く英雄の破滅」を軍部に重ねたと受け取った
▲80歳で亡くなった国際政治学者、五百旗頭真(いおきべ・まこと)さんの若き日である。司馬さんは難読の姓を難なく読み、「尾張あたりに五百木部(いおきべ)一族がいた」とルーツにもヒントをくれたという
▲党派を問わず、歴代政権から頼りにされたのは実証的歴史研究で鍛えられたバランス感覚のためだろう。防衛大学校長に就任後、当時の航空幕僚長がゆがんだ歴史観を論文で発表すると、小紙コラムで過去の反省に立った文民統制の重要性を説き、「国民と政府への『服従』は誇りだ」と戒めた
▲神戸大教授時に阪神大震災を経験。防大時代には東日本大震災の復興構想作りに尽力し、熊本県立大理事長として熊本地震に遭遇した。防災も研究テーマに加わり、能登半島地震の復興にも関心を寄せた
▲ロシアのウクライナ侵攻には黙認すれば秩序のない「ジャングルの掟(おきて)」が復活すると警鐘を鳴らした。内外ともに地図のない航海を迫られる難しい時代。いつも的確な見通しを示してくれた羅針盤が失われた思いだ。