未来の足音(2024年3月8日『』-「小社会」)

 寺田寅彦に師事した中谷宇吉郎は、寅彦と同じく秀でた物理学者であり随筆家であった。残した名言の数々も寅彦に負けず劣らず。師弟そろって先見の明を持っていたようだ。

 終戦から約5年後の随筆に「未来の足音」がある。取り上げたのは20世紀前半の科学の発展。特に「人類が夢想だにしなかった大事件から始まる次の時代の科学」として原子力を挙げた。

 広島、長崎への原爆投下で思い知らされた巨大なエネルギー。兵器としてだけでなく、原発など平和利用の道も模索されていた頃である。原子力は「或(ある)いは人類の文化を食いつぶすことになるかもしれない。或いは地上に天国を築くことになるかもしれない」とした。

 その見たてから70年以上がたった。宇吉郎は泉下でどう評価しているだろうか。少なくとも天国を築くことはなかったのでは。核兵器は世界に広がり、原発は米国や旧ソ連に続き、日本の福島第1原発でも大事故が起きた。

 福島の事故から間もなく13年。事故を教訓に、大分県の住民が対岸の四国電力伊方原発3号機の運転差し止めを求めた訴訟は、大分地裁が訴えを退けた。地震火山列島の日本は原発を抱える怖さを身をもって体験したはずだが、いまや原発回帰の道にある。

 原子力は文化を滅亡させるのか、それとも天国を築くのか―。宇吉郎は随筆で真理を述べている。「それを決定するものは科学ではなく、人間性である」と。


 いよいよ今年は、二十世紀前半の最後の年にかかった。ここでふり返ってみると、この二十世紀の前半五十年の間に、科学はその歴史の上に類例のない大飛躍をした。そして、科学が今日のように力強いものになってくると、この五十年間は、人類の歴史の上でも、特別の意味をもっているように思われる。
 例えば物理学を見ても、十九世紀の物理学は、力学を完成し、電気を人類の僕《しもべ》とするところまでしか、到達しなかった。世界の物理学界の動向が、原子論の研究に向ったのは、今世紀にはいってからのことである。ところがわずか半世紀のうちに、遂にそれは原子爆弾にまで発展したのである。
 原子爆弾は、今日、全世界の注視の的になっているが、それは次の新しい時代、即ち原子力の時代の火縄銃にすぎない。原子力の解放は、考えようによっては、パンドラの函を開いたことになるかもしれない。物質とエネルギーとの転換を如実に示した、この世紀の実験は、到底開き得ないと思われた函を、遂に開いてしまったのである。
 ギリシャ以来、今日までの二千年の科学は、今世紀の前半に到って、遂にその全貌をあらわしてきたともいえよう。機械を作った人間は、遂に機械の隷属物になった。今日のいわゆる近代工業は、人間が機械を使っている工業ではなく、機械が人間を使っている工業である。原子力の解放という、人類が夢想だにしなかった大事件から始まる次の時代の科学は、或いは人類の文化を食いつぶすことになるかもしれない。或いは地上に天国を築くことになるかもしれない。それを決定するものは、科学ではなく人間そのものである。
 原子力以外にも、この二十世紀の後半に期待する一つの大きい事件がある。それは人類が地球から逃れ出ようとする企てである。近年のロケットの恐るべき進歩は、遂に百六十五キロの高空から、遊星としての地球の写真を撮ることに成功した。いつかライフ誌上を飾った「地球の丸みを示す写真」というのが、それである。
 天体旅行の話は、つい近年までは、全くの人類の夢であった。しかし今日では、それはもはや夢ではない。非常に困難な問題ではあるが、現実の問題となって、われわれの眼の前に浮び出て来たのである。百年前に北極に到達しようという試みが、非常に困難な企てであったのと同じ意味で、それは非常に困難な問題なのである。
 アメリカにおける大型ロケットの研究は、この数年来、著しい進歩をとげた。そして現在では、発射以後わずか三分二十秒で、百七十キロの高さに達するまでに到った。そして現在の燃料を使っても、数段のロケット構造にすれば、地球の重力の場から天空にとび出すものを造り得るそうである。
 このロケットは、戦争中にドイツで作られた、V2号を改良したものである。V2号は愛人を奪われたドイツの一青年科学者が、復讐の念に燃えて研究したものといわれている。真偽のほどは知らないが、復讐の念から生まれた兵器が、人類の夢の実現に役立つというのは、一寸面白い話である。
 原子力の解放が、人類の文化の滅亡を来たすか、地上に天国を築くか、それは目前に迫った問題である。そしてそれを決定するものは科学ではなく、人間性である。人類の総数の半ばを占め、その上子供を味方にもっている婦人たちが、この問題について割り当てられた任務は、かなり重いといっていいであろう。
[#地から1字上げ](昭和二十五年一月)