「3・11」を前に 避難の実行で風化を防げ(2024年3月5日『産経新聞』-「主張」)

 
津波の被害を受けたとみられる石川県珠洲市の沿岸部(共同通信社機から)

 

 東日本大震災から13年になる。

 元日夕に起きた能登半島地震では東日本大震災以来となる大津波警報が、石川県能登地方に出された。

 鎮魂の日である3月11日を迎える前に、津波から命を守るための避難行動の大切さを改めて心に刻みたい。

 能登半島地震津波と被害の全体像はまだ把握されてはいないが、極めて重要な教訓をはらんでいる。

 気象庁地震発生直後に能登地方を含む日本海沿岸に津波警報を発表し、約10分後に能登地方の警報を大津波警報に切り替えた。第1波は地震直後に到達したとみられるが、海岸の隆起で波高を観測できなかった。新潟、富山両県の沿岸でも陸域に達する津波が起きていた。

 テレビなどで伝えられた津波情報は翌日まで「輪島で1・2メートル以上」が最大値だった。

 東日本大震災でも、第1報の発表後に津波の予想波高が上方修正された地域がある。

地震津波に限らず、災害時には不測の事態が起こることが多く、初期情報に「不確かさ」を伴うのは避けられない。

 不測の事態や情報の不確かさを織り込んで、一人一人が命を守る行動に徹することが大事だ。津波から命を守る手立ては「避難」以外にはないことを、何度でも重ねて銘記しなければならない。

 東日本大震災の1年前、南米チリ沖で大地震が発生し、日本列島の太平洋岸に大津波警報津波警報が出された。このとき自治体が設けた避難所で確認されたのは対象住民の3・8%にとどまった。実際に観測された津波は最大1メートル強で陸域に被害は及ばなかった。この記憶が1年後の大震災で住民の避難行動を鈍らせる要因になったと考えられる。津波の怖さ、避難の大切さを頭で理解しているだけでは、記憶と意識は薄れる。

 津波に関しては規模や被害の大小を考えず、避難に徹するべきだ。不測の事態や情報の不確かさを踏まえて命を守り抜くためであり、記憶と意識の風化を防ぐことにもなる。

 これは東日本大震災の最も重要な教訓であり、能登半島地震で上書きすべき教訓である。土砂崩れや洪水など津波以外の災害にも通じる。日本列島に生きるすべての人が、この教訓を共有したい。