継承と警鐘(2024年3月4日『中国新聞』-「天風録」)

 少し前に訪れた一帯の光景は見違えるようだった。宮城県南三陸町の震災復興祈念公園。震災犠牲者を悼む碑がある丘から、津波の猛威を伝える旧防災対策庁舎の骨組みを見下ろす。向こう側の高台は観光名所の商店街だ

▲震災の年に初めて来た折、がれきに埋もれた生々しさに身がすくんだ。3階建ての庁舎を上回る津波に遭い、ここで命を落としたのは43人。残すか壊すか。議論が白熱する中で「県預かり」となり、遺構を平場に残して周りをかさ上げして今に至る

▲猶予を置き、震災20年まで議論を―。知事の大岡裁きの期限を前に、この庁舎で生き残った町長が残す決断を下した。私たちも無縁ではないのは原爆ドーム保存の経緯を踏まえたからだ

▲永久保存で核廃絶の礎に。もう見たくない。戦後20年余り続いた広島の葛藤は3・11とも確かに重なり合う。異論が残るとしても防災学習の拠点として定着した今、壊す選択肢は町からすれば、考えられないのだろう

▲祈念公園からはあの日、牙をむいた海を望む。震災から13年、保存論議の区切りが風化と重なるなら元も子もない。継承と警鐘を、どう実のあるものにするか。重い課題は当然、被爆地にも通じる。