【発表全文】フィギュアスケート宇野昌磨が引退 なぜ今、どうして…担当記者が見た「達観」(2024年5月9日『東京新聞』)

 
 フィギュアスケート宇野昌磨(26)=トヨタ自動車=が9日、自身の交流サイト(SNS)で現役引退を発表した。インスタグラムにはファンへの感謝とともに「スケートを21年間続ける事ができ、素晴らしい競技生活を送れた」とつづった(全文はページの下部に)。14日に会見を行い、引退を決めた心境や今後の活動について話す。
 
世界選手権で2連覇し、メダルを手に笑顔の宇野昌磨=2023年3月25日、さいたまスーパーアリーナで

世界選手権で2連覇し、メダルを手に笑顔の宇野昌磨=2023年3月25日、さいたまスーパーアリーナ

 2016年に4回転フリップを世界初の成功。冬季五輪では2018年平昌(ピョンチャン)で男子シングル銀、22年北京では個人と団体で2つの銅メダルを獲得した。世界選手権は22、23年に日本男子シングル史上初の2連覇を果たし、全日本選手権は6度優勝した。

◆「あの2人がいなくなって、難しくなった」

 自他共に認める負けず嫌い。だが、2022年北京冬季五輪後の宇野は凪(な)いだ海のようだった。「競技者としての精神は、『あの2人』が現役を退いた時点で結構難しいものになっていた」。この2シーズンは勝利への渇望や負けて悔しさをにじませることも少なく、達観した表情を見せることが増えた。
 「あの2人」とは北京の金メダリストのネーサン・チェン(米国)と、14年ソチ、18年平昌の両五輪を連覇した羽生結弦さん。宇野の前には常に2人の背中があった。「誰よりも難しい構成で、誰よりも安定していた」というライバル。その2人に「勝つためにはやるしかない」とジャンプの練習に注力した。
平昌五輪男子シングル フリー演技後のセレモニーで、金メダルの羽生結弦に頭をなでられる銀メダルの宇野昌磨(左)=2018年2月17日

平昌五輪男子シングル フリー演技後のセレモニーで、金メダルの羽生結弦に頭をなでられる銀メダルの宇野昌磨(左)=2018年2月17日

 16年4月に世界初となる4回転フリップを成功させるなど、フリーで5本の4回転ジャンプに挑む構成を演じられるまでに成長した。だが北京後の世界選手権で頂点に立ったとき、2人の姿はもうなかった。
 23〜24年シーズンが始まる前の気持ちを宇野はこう語っていた。「(今季のテーマを)自己満足って掲げるくらい、目標が見つかっていなかった」
 モチベーションの維持に苦労する中、クワッドアクセル(4回転半)を跳ぶ新星イリア・マリニン(米国)が現れた。すべての4回転を高いレベルで跳び、宇野は「ジャンプの安定感は飛び抜けすぎている。今後、1強になることは間違いない」と舌を巻いた。
 直接対決となった3月の世界選手権。「マリニン君にとって良い存在でいたい」と臨んだが4位。「心から勝ちたい気持ちにならなかった」。以前のような悔しさを感じることができなくなった。(蓮野亜耶)

◆宇野選手のインスタグラム全文

皆様、こんにちは
宇野昌磨です。
この度、現役選手を引退する決断を致しました。
今日まで競技者としての僕を応援してくださった皆様、支えてくださった皆様
本当にありがとうございました。
5歳の時にスケートと出会い、21年間続ける事ができ、素晴らしい競技生活を
送れたことにとても感謝しております。
5月14日に引退の記者会見を行い、僕の想いや、今後の活動については
その場でお話しさせていただきます。
会見はトヨタイムズでLIVE配信されますので、ご覧いただければ幸いです。
引き続き、宜しくお願いいたします。
 
 

山田満知子コーチ「新たな昌磨を見せて」 伊藤みどり浅田真央ら育てたフィギュア名伯楽(2024年5月9日『東京新聞』)

 
 冬季五輪2大会でメダルを獲得したフィギュアスケート宇野昌磨(26)=トヨタ自動車=が9日、自身の交流サイト(SNS)で現役引退を発表した。名古屋市生まれで、2010年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央さんらを指導した山田満知子樋口美穂子両コーチに師事。14日に会見を行う。

◆真央さんに声を掛けられて…「こんな選手になるとは」

宇野昌磨選手の現役引退発表を受け、報道陣の質問に答える山田満知子コーチ=9日、名古屋市中区の名古屋スポーツセンターで

宇野昌磨選手の現役引退発表を受け、報道陣の質問に答える山田満知子コーチ=9日、名古屋市中区の名古屋スポーツセンター

 宇野が故郷の名古屋市でスケートを始めた際に指導した山田満知子コーチ(80)は、「残念だが、新しい昌磨を見せてほしい」と今後の活躍を期待した。同市の名古屋スポーツセンターで報道陣の取材に応じた。
 同センターに通っていた後のバンクーバー五輪銀メダリスト、浅田真央さんに声を掛けられ競技を始めた。幼少期は背が小さく泣き虫だったという。山田さんは「4回転をばんばん跳ぶ時代に(世界で)戦える選手になるとは思っていなかった」と打ち明ける。
 何かをきっかけに大きな成長を遂げる選手もいるが「急激に変わったことはない。ずっと努力しながら上手になった」と山田コーチ。2018年平昌五輪後に、宇野がさらなる成長を求め、海外のコーチから指導を受けるようになったことについては「私は成功だったと思う」とした。
全日本選手権 宇野昌磨選手(中)を笑顔で見つめる山田満知子コーチ(左)と樋口美穂子コーチ=2017年12月24日、東京都調布市の武蔵野の森総合スポーツプラザで

全日本選手権 宇野昌磨選手(中)を笑顔で見つめる山田満知子コーチ(左)と樋口美穂子コーチ=2017年12月24日、東京都調布市の武蔵野の森総合スポーツプラザで

 昨年12月の全日本選手権の会場では宇野から「先生、名古屋に行けていなくてごめんなさい」と声を掛けられたという。「アマチュアでやることはやった。次の世界に行きたいということじゃないかな」とねぎらった。

◆樋口コーチ「間違いなく特別な選手」

 山田コーチのアシスタントとして、宇野が競技を始めてから2018〜19年シーズンまで指導した樋口美穂子コーチ(54)は「私にとって間違いなく特別な選手。お疲れさまという気持ちと、ありがとうという気持ち」と語った。
 世界選手権を連覇するなど、世間的には順風満帆なスケート人生を送っているようにも見える宇野。だが、トップに立つことのつらさを感じることもあったといい、「以前、会ったときにスケートが楽しいかと聞いたこともあった」と振り返る。
 プロスケーターとしての今後の活躍に期待し、「勝ち負けや点数、ルールを気にせず、のびのびと昌磨らしいスケートが見られたら」と語った。