能登伝統の塩づくり再開 「復活が使命」 2カ月で2年分の注文殺到(2024年3月3日『毎日新聞』)

  • 大釜から塩の結晶を取り出す「珠洲製塩」の山岸順一さん。伝統の揚浜式製塩法で、被災後いち早く生産を再開し「(自分は)社長だから率先して働いて、社員にその姿を見せないとね」と話した=石川県珠洲市で2024年2月22日、山崎一輝撮影
大釜から塩の結晶を取り出す「珠洲製塩」の山岸順一さん。伝統の揚浜式製塩法で、被災後いち早く生産を再開し「(自分は)社長だから率先して働いて、社員にその姿を見せないとね」と話した=石川県珠洲市で2024年2月22日、山崎一輝撮影

 

 能登半島地震で大きな被害を受けた石川県珠洲(すず)市で、500年以上続く「揚げ浜式製塩法」と呼ばれる伝統的な塩作りが再開した。各地から支援しようと注文が多数寄せられ、製塩所を営むベテラン職人が1人で生産を始めた。本格稼働に向けては道半ばだが、風味豊かな天然塩を感謝も込めて届けたいと、完全復活を誓っている。

 揚げ浜式製塩法は、海からくみ上げた海水を砂浜に均等にまいて天日で乾燥させる。その砂にさらに海水を注いで塩分を凝縮した「かん水」を釜で煮詰めて塩を取る。天然のうまみが凝縮され、ほのかな甘みもあるのが特徴だ。国の重要無形民俗文化財に指定され、珠洲市によると、市内で4社がこの製塩法を守り続けている。

海水くみ上げできず

 珠洲市大谷地区では、製塩所にも大きな被害が生じ、生産ができなくなった。そんな中、「珠洲製塩」の山岸順一社長(87)がいち早く1人で塩作りを再開した。

 地震では、浜辺に建つ製塩所の煙突がくの字に曲がり、かん水をためる屋外のタンクのパイプも破損。9人の従業員は市外などへ避難していたため、山岸さんは1人で設備を修理した。

 地震による地盤隆起に伴い、製塩所前の海岸線が約100メートルほど沖合に離れ、海水をくみ上げるためのパイプが届かなくなった。タンクに地震前からためてあった大量のかん水が幸いにも残っており、2月9日に15キロの塩を地震後初めて作り上げた。「珠洲の塩作りは地震には負けない。塩を作る珠洲の職人は根性があると多くの人に伝えたい」と力を込める。

励ましのメッセージ

「かん水」を煮るため、釜に火を入れる「珠洲製塩」の山岸順一さん。小中学校の教諭を経て父親の跡を継ぎ、伝統の揚浜式製塩法を「後世に残していけるように今頑張らないとね」と話した=石川県珠洲市で2024年2月22日、山崎一輝撮影
「かん水」を煮るため、釜に火を入れる「珠洲製塩」の山岸順一さん。小中学校の教諭を経て父親の跡を継ぎ、伝統の揚浜式製塩法を「後世に残していけるように今頑張らないとね」と話した=石川県珠洲市で2024年2月22日、山崎一輝撮影
 

 今は9人の従業員のうち一部が職場に戻り、作業に汗を流す。山岸さんも燃料用の薪を切ったり、かん水を煮る釜の火加減を確かめたりと手慣れた様子で塩作りを進める。製塩がシーズンを迎える4月下旬までには、パイプの延長など本格稼働に向けた準備を済ませたいが、現時点でめどは立っていない。


 同社のインターネットの販売サイトには地震後の2カ月で約2年分に相当する注文が寄せられた。注文した人の中には、かつて珠洲を旅行で訪れた人もおり、「大変なことが起きましたが、頑張ってください」と励ましの言葉も添えられていたという。

 山岸さんは「能登を応援してくれる全国の皆さんの気持ちがありがたい。能登の塩作りを復活させるのが私の使命だ」と話している。【川原聖史】