能登伝統の「米あめ」最後の1軒の釜が被災 それでも生産再開にこぎ着けた親子の覚悟(2024年2月20日『東京新聞』)

 能登半島地震で大切な道具が壊れた、米あめ作りの老舗「横井商店」(石川県能登町)の横井裕貴さん(44)が製造再開にこぎ着け、千葉市で開かれた全国規模の商談会に出展した。米あめは約500年前から続く製法が生み出す、優しく素朴な甘味が特徴。後継ぎが減り、手がけるのは地震の前から能登地方で1軒だけとなっていたが、両親と3人で守ってきた。「かけがえのない伝統を絶やすことはできない」と覚悟を新たにする。(嶋村光希子)

◆釜の土台が割れた…「もうダメかも」

大きな揺れで、鉄釜を支える石製の土台には大きな亀裂が入った=横井裕貴さん提供

大きな揺れで、鉄釜を支える石製の土台には大きな亀裂が入った=横井裕貴さん提供

 「もうダメかも」。仕事場では120年以上使ってきた重さ約40キロの鉄釜が無事だったものの、石でつくられた釜の土台は割れていた。釜での作業は、あめの固さや粘り具合など品質を左右する。「ただでさえ微妙な火加減が求められるのに、土台の亀裂で火の回りが違ってくる」
 商店のある松波地区は城下町で、古くから複数の米あめ店があった。手作りで大量生産できず、道の駅など地元中心に卸してきた。新型コロナウイルス禍で観光客が減り、売り上げが激減。横井さんは昨年末から、収入の助けにと介護施設でアルバイトを始めた。地震当日も施設の利用者を避難誘導し、施設や車内で寝泊まりした。帰宅したのは発生の2日後だった。

◆補修に奔走、2月に生産を再開

石川県能登町から「こだわり食品フェア2024」に出展した横井商店の横井裕貴さん。左は手伝いに駆けつけた川原宜子さん

石川県能登町から「こだわり食品フェア2024」に出展した横井商店の横井裕貴さん。左は手伝いに駆けつけた川原宜子さん

 気落ちする横井さんを励ましたのが、4代目の父千四吉(ちよきち)さん(74)。「先祖代々作り続けた物が消えるのはさみしい」と、土台を補修する資材集めに奔走した。亀裂をモルタルで応急的にふさぎ、町の給水で2月に入り、生産再開にこぎつけた。まだ火加減の調整に苦労するが、地震前の味に近づきつつある。
 14~16日には千葉市での業者向け商談会「こだわり食品フェア2024」に、能登地方から唯一の被災企業として出展した。宿泊費の捻出が難しく、出展を躊躇(ちゅうちょ)したが「商品を通じて遠方の人と交流し、励ましを受けるのはありがたい」との父の言葉が後押しした。

◆商談会に出展「ピンチをチャンスに」

横井商店の米あめ

横井商店の米あめ

 出展ブースには、阪神大震災で被災した経験があり、ビジネススクールで知り合った経営者仲間の川原宜子(よしこ)さん(43)らが応援に駆けつけ、来場者を呼び込み、商談を助けた。
 商談会では小売店での商品の取り扱い、大手企業との協業など新たなビジネスの芽も得た。横井さんは「ピンチをチャンスに変え、良いものを広く伝えたい。能登全体が元気になる兆しになれば」と首都圏での販路拡大にも手応えを感じている。米あめの問い合わせは横井商店=電0768(72)0077=へ。

 能登うるち米に発芽させた大麦を混ぜ、糖化した液体を5時間近くかけて煮詰める。その日の気温や湿度に合わせて火加減を調整し、固さや粘り具合を決める。500年前の戦国時代から伝わり、かつては各家庭でも作られていた。固形のほか、液体の「じろあめ」は料理にも使う。50グラム324円から。近年は地元産「能登ワイン」との協業商品も手がける。