週のはじめに考える 「えんじょもん」の勧め(2024年3月3日『東京新聞』-「社説」)

昨年3月3日に亡くなった作家大江健三郎さんの名作にちなみ、今日は極めて「個人的な体験」をご報告します。今年の1月1日、金沢市で遭遇した出来事です。
 金沢には縁もゆかりもなくて、この地の方言でいう「遠所者(えんじょもん)」。つまりは「よそ者」なのですが、金沢が大好きで、近年は妻と2人ここで年を越すのが恒例です。
 元日は初詣の後、金沢駅に近い大きな商業ビルへ向かいました。初売りでにぎわう中、妻の好きな雑貨や服のお店を訪ねます。
 すると店員さんが「能登の方でさっき地震があったみたいです。震度5強ぐらいの」と言います。「気付かなかったよね」と答えた直後、ビルが揺れ出しました。
 能登半島地震の本震です。60年近い人生で初の強烈な揺れです。店内では、器など商品を壁一面に並べた大きな棚が揺れています。
 倒れないよう押さえたのですが震動はさらに強まり、あちこちで品物が落ち始めました。それでも自分の背丈より高い棚を押さえていると「もう棚から離れて!」と妻にしかられてしまいました。

◆「まだ大丈夫」の甘さ

 その時やっと、自分自身がこの状況をどこか楽観視していた、と気づきました。これこそが有名な「正常性バイアス」でしょうね。棚が倒れてけがをしたら、店にもご迷惑だったでしょう。
 正直に言うと、これまで災害の取材をしたことはありましたが、どこか「人ごと」でした。だから天災の折に、漁港や田んぼを見に行った人が遭難した記事を読むと「どうしてそんな時に、わざわざ行くのかな」と不思議でした。
 でも、あの地震を体験した後は考え方が変わりました。自然の猛威の前に「まだ大丈夫」と思いこむ気持ちや「まだ何かできるかも」といったやや甘い考えが浮かぶこともあると実感したのです。
 読者の皆さまには、どうかこの失敗をご参考にして、災害の折は何よりもまず、自分を守ることを優先してほしいと思います。
 さて、翌2日もまた金沢駅に行きました。地震のせいで電車やバスが運行を休止し、いつもなら大にぎわいの鼓門(つづみもん)の前にも人影がほとんどありません=写真。
 金沢の最大震度は5強で、能登地方に比べれば揺れは小さかったものの、民家4棟が全壊するなどあちこちで被害が出ました。
 駅の近くにある石川県立音楽堂では、ホールが一時利用停止に。ここを本拠地とする楽団「オーケストラ・アンサンブル金沢」は、1月に行う予定だった公演を延期する事態となりました。
 この楽団の創設に尽力し、長く音楽監督も務めた岩城宏之さんは「バケツ募金」という活動をしていたことがあります。1995年阪神淡路大震災の後でした。
 公演の休憩中にオーケストラの団員たちとバケツを持ち、会場の聴衆に寄付を呼びかけたのです。アンサンブル金沢以外の楽団との演奏会でも活動を続け、約半年の間に全国の公演で集まった浄財は1400万円を超えました。
 募金の前には聴衆に「日本人は忘れやすいけれど、この災害のことは忘れてはいけない」と訴えていた岩城さん。生前の取材では、こう話してくれました。

◆「自分の立場」で支援を

 「ぼくらは募金しながら『お金だけでいいのか』と思うことがある。神戸に駆け付けて何か手伝いたいとも思うが、日本中が駆け付けても大混乱する。それなら、自分の立場でできることをすべきでしょう」と。
 日本を代表する指揮者ながら、音楽の世界に閉じこもらず、常に社会との関わりを考えた人からの提言です。能登で大地震が起きた今、振り返ってみました。
 さて、岩城さんの言葉と、その折の真剣な口調を思い出しつつ、「自分の立場」で何ができるかと自問しました。そして石川県とは縁のない人に「えんじょもん」になるよう勧めることにしました。
 「私は石川県には縁がなくて、もともと遠所者だけれど」と思う方もいるでしょう。いえ、ここで言いたい「えんじょもん」とは、漢字なら「援助者」なのです。
 能登には駆け付けられなくてもできるかぎり現地の産品を買い、復興を応援する人。交通事情など状況が好転したら現地に出向き、観光業を助ける人。そして、この震災を決して忘れない人-。
 「わたしもなろう!」と思った方がひとりでもいたら、うれしいかぎりです。これからまだ時間がかかりそうな能登の復興に向け、ご自分でできる息の長い支援策をぜひお考えください。