時間は川の流れにたとえられる。来し方行く末を思うとき、人は時間の岸に立つ。誰かを待つときも。<帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく/岸とふ文字を歳時記に見ず>。いまの上皇后さまが平成24年の歌会始で詠まれた一首である。
▼その前年の東日本大震災では、多くの人が津波にさらわれ行方不明となった。季語に「岸」という言葉がないように、帰りを待つ思いに四季はない―。残された人の心に寄り添い、待つ身の切なさをこれほど優しく詠(うた)った一首を他に知らない。時間はそれでも流れている。
▼鎮魂と巣立ちの3月である。能登半島地震から2カ月を経て、なお傷の癒えぬ石川県では県立高校の卒業式が行われた。入学時は新型コロナ禍、卒業式を目の前にして見舞われた震災。「日常」の価値は、若者の中で大きな変化を見たに違いない。
▼「皆さんは全国各地の給水車から水をいただき、蛇口から水が出た時の喜びを知っている」。七尾高(七尾市)の樋上哲也校長が卒業生に送った式辞を「産経ニュース」の記事で知った。そんな若者が築く未来は「優しく力強いものになるはず」。
▼飯田高(珠洲市)の卒業式で復興に「力を貸して」と呼びかけたのはPTAの葛原秀史会長である。「ふるさとは、いつまでも優しさを広げて待っています」と。岸に立ち、帰りを待つ人はここにもいた。卒業する生徒の中には、地元自治体や企業で働く人もいると聞く。
▼唱歌『ふるさと』の3番目の歌詞にある。<志を果たして/いつの日にか帰らん/山は青きふるさと/水は清きふるさと>。復興を期して傷ついた郷里に残る人、復興を信じていまは新天地へ旅立つ人。それぞれの時間の岸が、心の中で一つにつながっているといい。
兎 追 ひし彼 の山 小鮒 釣 りし彼 の川 夢 は今 も巡 りて忘 れ難 き故郷 如何 にいます父母 恙無 しや友 がき雨 に風 につけても思 ひ出 づる故郷 志 を果 たして
いつの日 にか歸 らむ山 は青 き故郷 水 は清 き