漁再開への一歩…でも「涙出そう」 珠洲の港で被災した船の撤去始まる 20年共にした漁師「廃船にするしか」(2024年2月28日『東京新聞』)

 石川県珠洲(すず)市の飯田港で27日、能登半島地震津波で転覆したり沈没したりしている漁船や、消波ブロックなどの撤去作業が始まった。北陸地方整備局によると、被災漁船の行政による撤去は県内で初めてで、主要産業の一つである漁業の再開に向けた一歩となる。(久野賢太郎)
陸に上がった力丸(後方)から離れる濱野慶弘さ

陸に上がった力丸(後方)から離れる濱野慶弘さ

クレーンで吊り上げられる漁船。港内には転覆した船が多く残る

クレーンで吊り上げられる漁船。港内には転覆した船が多く残る

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◆「家と同じくらい大切」

 朝から始まった作業では港内で動けなくなった漁船を別の船で曳航(えいこう)し、起重機船(きじゅうきせん)と呼ばれる船に横付け。クレーンで桟橋に引き上げて状態を確認した後、別の場所へ運ぶ準備をした。
 地震後に市に代わって港を管理する整備局が、船舶の航路を確保するために実施した。局によると、港内には15隻ほどが残されている。担当者は「防波堤の残骸などと合わせ、2カ月以内には撤去作業を終えたい」と話した。
 最初に引き上げられた刺し網漁船の「力丸(りきまる)」の持ち主で漁師の濱野慶弘さん(66)は「20年以上仕事をした。家と同じくらい大切で、涙が出そう」と船底があらわになった力丸を見つめた。

◆漁港停止で収入ゼロ、解体費も

 地震後すぐに港に駆けつけ、所有するもう1隻に乗り、沖合に避難。夜に飯田港に戻ると、係留していた力丸は港の中央付近で浮いていた。エンジンも浸水しており「廃船にするしかない」と肩を落とした。
 2隻でカニ漁とタラ漁を並行し、年間の収益のほとんどを稼ぐこの時期の被災で、漁港は機能を停止。1月以降の収入はゼロになった。自宅は残ったが、貯金を取り崩す生活を強いられ、船の解体にも200万円近くかかるという。
16歳から漁師一筋。「命を懸けてやっている」と残った1隻で3月から漁の再開を目指すが、燃料や氷、運搬用トラックも確保できるか分からない。もう1隻増やすかどうか決めかねている。過去2回の地震で壊れた自宅を補修し、今度は船を持っていかれた。「何とかしてほしい」と声を絞り出した。