地下鉄学校を開いた「不屈の街」に学べ(2024年2月27日『産経新聞』-「産経抄」)

 
6日、ウクライナ東部ハリコフで、地下鉄の駅に設けられた学校で学ぶ子供たち(遠藤良介撮影)

第二次世界大戦中、ドイツ軍による大規模空襲に対して、ロンドンの地下鉄網が防空壕(ごう)の役割を果たした事実はよく知られている。避難場所に指定された駅には、電気ボイラーや水道施設、水洗トイレ、診療所、寝台などが整備された。

▼日本でも対米戦争前から、地下鉄の有効活用が議論されたものの結局、市民の避難は禁止された。空襲時の交通確保が優先されたからだ。ただ大阪大空襲では、大阪市営地下鉄が、一部の駅を開放して避難民を受け入れた、との証言が残っている(『戦時下の地下鉄』枝久保達也著)。

▼ロシアによるウクライナ侵略は先週から3年目に入った。露国境に近い第2の都市ハリコフは、激しいミサイル攻撃にさらされ続けてきた。露部隊が市近郊に迫った際に市民が約2カ月間過ごしていたのは、旧ソ連時代に開業した地下鉄の構内である。当時、教師たちは自発的に授業を行っていた。それがきっかけとなり、市当局が昨年秋から地下鉄の駅で学校を開いていると、昨日の小紙が伝えていた。

▼外国からミサイル攻撃を受けた場合の住民の避難先として、日本でも地下鉄の駅が改めて注目されている。といっても東京都が新年度から構内の整備を始める方針を明らかにしたのは、都営地下鉄大江戸線麻布十番駅だけにとどまっている。

▼水や食料を備蓄し、非常用電源、通信装置などを備えて、住民がある程度の期間滞在できる地下シェルターの建設は、安全保障上の喫緊の課題である。中国とロシア、北朝鮮保有するミサイルは日本全土を射程に収めているのだ。

▼ロシア軍から毎日のように着弾されながら、子供たちが元気に勉強を続けているハリコフに学ぶのは、市民の不屈の精神だけではない。