卓球が世界に普及したのは1900年ごろにセルロイド球が開発されてからという。比較的新しいスポーツだからか。1926年発足の国際卓球連盟は国旗や国歌を使わず、プロとアマの区別もしないというユニークな憲章を採用した
▲その規定を変更したのはオリンピックの正式競技になるためだ。88年のソウル五輪から採用されたが、元世界チャンピオンで連盟会長も務めた荻村伊智朗(おぎむら・いちろう)氏は「貴重な犠牲を払った」と残念がった
▲72年の日中国交正常化前、中国の運動選手の初来日は56年の世界選手権東京大会。71年の名古屋大会は歴史的な米中ピンポン外交が繰り広げられた。国旗や国歌に神経をとがらせなくてもよかった
▲日本がトップの座にあった50年代、中国は日本から贈られた荻村選手らの記録映画で技術を学んだという。60年代前半のシングルス世界3連覇後、文化大革命に巻き込まれた荘則棟(そう・そくとう)氏は「交流がなければ強くなれない」と語っていた
▲韓国・釜山大会で日本が中国を追い詰めた。名古屋以来53年ぶりの世界一まであと一歩だった。中国語がペラペラになるほど技術を吸収した福原愛さんや石川佳純さん以来の努力が早田ひな選手らの世代で実を結びつつある
▲パリ五輪も視野に「借りを返すために頑張る」という平野美宇選手は頼もしいが、国を背負う必要はない。表彰式後、日中と香港、フランスの選手が笑顔で画面に納まる「自撮り写真」がSNS上に流れた。国家にとらわれなかった卓球の原点が思い浮かんだ。