残留日本兵に刻み込まれた50年前の「正義」(2024年2月21日『佐賀新聞』-「有明抄」)

 半世紀前、鈴木紀夫さん(1949~86年)という冒険家がいた。彼の冒険で知られる一つが1974年2月20日の出来事だ。フィリピンのルバング島で残留日本兵小野田寛郎さん(1922~2014年)を発見したのである

◆小野田さんは44年12月、ルバング島に着任した。翌年、米軍の攻撃で島が制圧され、小野田さんは生き残った部下と4人で山中生活を始めた。日本の敗戦を伝える米軍の通告にも投降しなかった。部下を失って一人になり、信じられるものは開戦前の時代認識と自分の決意だけだったという

◆そんな小野田さんを説得したのが当時24歳の鈴木さんだ。上官の命令には従うという小野田さんの言葉を聞き、上官を伴って再びルバング島へ。任務解除の命令を受けた小野田さんは74年3月12日に祖国の土を踏む。この2年前の横井庄一さんの帰国以上に驚いた。ただ、社会にすぐになじんだ横井さんと違い、小野田さんは順応できなかったという

◆小野田さんの発見からきのうで半世紀。91歳で亡くなってから10年がたつ。「玉砕は許さない」。着任前、小野田さんの心に刻み込まれた命令だ

◆小野田さんだけの問題ではない。ロシアとウクライナの戦争は今月24日で2年になる。それぞれの兵士に国家に刻み込まれた「正義」があるだろう。戦争の罪をあらためて思う。(義)