正社員、待遇下げ非正規と「平等」 最高裁容認の衝撃(2024年10月20日『日本経済新聞』)

 
正社員の待遇を下げ非正規社員との格差をなくす手法について、最高裁が7月、容認する決定をした。東京地裁も5月に同様の判決を出した。非正規社員の手当を増やすのではなく、正社員の手当を減らす形で格差の解消策が広がれば、多くの労働者に不利益が及ぶ。働き手は、手当込みの賃金を当然としてきた意識を変える必要がある。
「非正規従業員(非正規社員)の待遇改善を意図したパートタイム・有期雇用労働法の趣旨にそぐわない。今後の影響が心配だ」。7月の最高裁決定で敗訴が確定した原告の代理人、横山詩土弁護士はそう懸念する。裁判が起きたのは済生会山口総合病院(山口市)。2020年に就業規則を改正し、正規従業員だけに出していた扶養手当や住宅手当を、一部の非正規従業員も対象になる子ども手当や住宅補助手当に変えた。

正規・非正規にかかわらず、責任や業務に応じ両者に同等の待遇を確保する「同一労働同一賃金」の仕組みが背景にある。最高裁は今回の決定に先立つ18年と20年に、同一労賃を巡る7つの裁判で「正規・非正規間の格差の不合理は賃金項目(手当や本給)の趣旨を個別に考慮して判断する」との判例を示した。「非正規従業員に手当は不要」との通念は完全に否定された。

不利益変更、司法は「合理的なら可」

非正規従業員の処遇改善は進展したといえる。就職情報サイトのマイナビが7月に発表した「非正規雇用の給与・待遇に関する企業調査」によれば、代表的な手当の通勤・出張手当で格差の是正を済ませた大企業は24年は45.7%。前年より9.4ポイントも増えた。

ただ同病院のケースでは手当を巡る格差を縮小した結果、正規従業員196人は手当が減ってしまった。このうち9人が差額を求め、山口地裁に訴えた。同一労働同一賃金を進めるために、手当の削減という不利益変更が認められるかが争点になった。

裁判所が判断に使ったのは、不利益変更を例外的に認める条文である労働契約法10条。不利益変更の必要性など5つの要素を勘案し、合理的なら変更を認める内容だ。病院側代理人の宮崎秀典弁護士は「正規側の手当原資を非正規側や若い世代に回す目的の変更で、合理的だ」と強調。山口地裁・広島高裁は23年の判決でこれを認め、最高裁も全員一致で上告を受理せず高裁判決を確定させた。

正規従業員の手当を削る手法を是認した判決は24年5月の東京地裁でも出た。日本郵便の非正規従業員3人が、正規側の住居手当などの廃止で、自分たちも対象のはずの手当が受けられなくなったのは不当と訴えた裁判だ。

原告代理人の水口洋介弁護士らは「正規側の住居手当廃止は、非正規の労働条件向上を目的とするパートタイム・有期雇用労働法8条を逸脱する」と主張する。だが東京地裁は「非正規側の労働条件が不合理な場合、(8条は)その相違を正規側の労働条件切り下げで解消することを直ちに否定していない」などと指摘し訴えを退けた。裁判は控訴審で継続中だ。

厚労省は引き上げ指導、手当カット探る企業も

2つの司法判断に衝撃を受けたのは当事者だけではない。労働政策を担う厚生労働省も、足をすくわれた。「この国から非正規という言葉を一掃する」と宣言した安倍晋三内閣以来の働き方改革路線に沿い、非正規従業員の手当引き上げを指導していたからだ。全国の労働局での指導件数は23年度、2596事業場と前の年度の18倍に達した。

指導を総括する厚労省の竹野佑喜有期・短時間労働課長は「労働契約法で正規側の手当を下げる手法がありえると予想はしていたが、法の範囲なので否定は出来ない」と受け止める。その上で「厚労省としては、全体の賃上げにつながる非正規の手当引き上げを求める考えに変わりはない」と話す。24年度も積極的な指導を続ける。

一方で、気になる動きがある。企業の間で正規側の手当切り下げを探る動きがあることだ。労使紛争などで経営側代理人として著名な弁護士は、企業規模の大小を問わず相談があると話す。「正規側の手当原資を非正規に回す『山口総合病院型』の相談はない。正規の特定の手当を減らす相談ばかりだ。紛争回避のため、会社と従業員代表で十分話し合うよう指導している」と明かす。

人件費が高騰するなか、企業のコストカット志向は強まる。一連の司法判断は、経費を増やさず正規・非正規間の格差を解消する、いわば「逃げ道」として利用されかねない。安易な人件費の抑制は人材の流出を招き、賃金の引き上げも阻害する。企業社会全体への影響を見据えた対応が経営者に求められる。

〈Review 記者から〉手当の意義、労使で議論を

厚労省の就労条件総合調査(2020年)によると、正規従業員が毎月受け取る各種手当の平均額は1000人以上の企業で約4万9000円。所定内賃金の13%を占め、手当がほぼない非正規従業員との賃金格差の大きな要因だ。

賃金制度に詳しい笹島芳雄・明治学院大学名誉教授は「数多くの手当は日本の特徴だ。欧州諸国では少なく、米国にはまずない」と説明する。日本は長期雇用の男性が家族を扶養することを前提に、人手不足の高度成長下に生活給を補い、待遇面の魅力を高める狙いがあった。「春季労使交渉で賞与や退職金に跳ね返る基本給を上げたくない企業が、手当の新設や増額で代替させたことも要因」(笹島名誉教授)。一方、米国は職務に応じて処遇を決める「ジョブ型」雇用が主流。手当などは基本給に組み込まれ、職務と無関係な生活手当は基本的にない。

ジョブ型雇用の要素を取り入れた雇用管理が大企業を中心に日本でも広がり、生活給的な手当の根拠は薄れた。例えば配偶者手当は女性活躍の推進に逆行するとして、見直しが進む。人事院の調査によると、支給企業の割合は23年に56.2%と09年に比べ約19ポイント低下した。

だがその他の手当の意義について、労使で深い問い直しは進んでいない。労使双方とも、賃金制度の本丸であり、本来、労働者の職務遂行能力や成果を反映する基本給や賞与の水準が働き手にとって妥当かどうかを、真剣に議論する時期が来ている。

(礒哲司)

正規・非正規の従業員の間で不合理な待遇格差を禁止する考え方。2020年に施行されたパートタイム・有期雇用労働法の8条で規定する。格差が不合理かどうかは①職務内容②配置変更の範囲③その他の事情――の3つの要素で判断する。ただ不合理と判断されても、非正規従業員の処遇を正規従業員と同等に引き上げる機能はこの条文にはない。
一方で、事業主が従業員の処遇を下げることを認める労働契約法10条が存在する。労働法に詳しい原昌登・成蹊大学教授は「パート・有期法と労働契約法が裁判でバラバラに判断されている。各法を『チーム労働法』と捉え、非正規の処遇改善を念頭に置く判断が必要だと思う」と疑問視する。