子どもをもう1人産みたいけど経済的な理由で難しい。結婚したいけど、子育ての負担などを考えると二の足を踏んでしまう。出生数の急減や未婚者の増加が、かつてない勢いで進む少子化に拍車をかけている。衆院選では各党が少子化対策を打ち出しているが、少子化が進む理由は多様化している上に複雑だ。人々の価値観が急激に変化し、少子高齢化に伴う負担が重くのしかかる社会に追いついているだろうか。
2人目ほしくても「現実的にとても無理」
全国各地で秋晴れが広がった今月10日、福岡県内の保育士のユキさん(37歳、仮名)は1歳1カ月の長女を連れて、自宅近くの郵便局の現金自動受払機(ATM)に立ち寄った。この日振り込まれた長女の児童手当を引き出すためだ。4カ月分で6万円。自宅に戻り、ブリキ製の貯金箱に全額をしまった。
長女の出産後、振り込まれる児童手当は、生活費として使ってしまわないようにすべてこの貯金箱に納めてきた。まとまった額になったら預金口座に移そうか、少額投資非課税制度(NISA)などで運用しようかと思案している。「この子の将来のために少しでもためておかないと」 約4年のを続けた。妊娠中は大きなおなかを抱えながら産休直前まで働いた。送迎の距離など条件が合う保育園に空きがなく、今は育児休業を延長している。
「年齢も考えると、1人産めれば十分」。最初はそう考えていたが、あどけない長女の顔を見るたび、2人目がほしいと思うようになった。しかし、ユキさんは「現実的に考えると、2人目はとても無理」とため息をつく。
育休延長、貯金切り崩して生活
大きな理由が経済的負担だ。フルタイムで働いていた時の年収は約470万円で、建築関連会社に勤める夫の年収約330万円と合わせ、世帯収入は約800万円。生活はしていけるが、子どもの将来を考えると余裕がない。育休を延長した今は、貯金を切り崩して生活する。月々の家賃に加え、物価高で食費などの支出が増加。連日猛暑を記録した今年8月は電気代が2万円近くになった。奨学金の返済もあり、月に3万5000円支払う。
出産から1年でたまった児童手当はやっと約20万円。成長するにつれて、習い事や塾の費用もかかるだろう。収入面を考えるとフルタイムで復帰するしかないが、子育てと両立できるのかも不安だ。
ユキさんは「金銭面や仕事との両立への不安がなければ、2人でも3人でも産みたい。でも現状では、どんなに子どもが可愛くても1人で精いっぱい」と明かす。
厚生労働省が6月に公表した2023年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子どもの数)は1・20で、記録のある1947年以降、過去最低を記録。国立社会保障・人口問題研究所の調査(21年)によると、夫婦が理想の子どもの数を持たない理由(複数回答)は、「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」という経済的理由が52・6%で最多だった。
「こんなに取られているのか」社会保険料に絶句
生活費や教育費に加えて重くのしかかるのが、社会保険料の負担だ。ユキさんは過去の源泉徴収票を確認し、「こんなに取られているんだ」と絶句した。保育士としてフルタイムで働いていた22年は、年収約470万円から社会保険料が68万円天引きされた。夫の47万円を合わせると計115万円に上り、世帯年収の14%を占める。「年金などに必要なのは分かるが、こんなに取られると生活できない」とこぼす。
社会保険料は、被保険者と企業などの事業主が基本的に折半で負担し、健康保険や公的年金などに充てられる。主に子育て世帯を含む現役世代が保険料を負担し、高齢者を支える。少子高齢化で高齢者の人口割合が高くなると、現役世代の負担は増える仕組みだ。
総務省の家計調査によると、2人以上の勤労世帯における社会保険料の平均月額は00年の4万8019円から23年には6万6896円に増加。収入よりも社会保険料の伸びが大きく、勤め先からの総収入に占める社会保険料の割合は9%から12%に増加している。
負担軽減の恩恵は主に多子世帯
こうした中、岸田文雄前政権は「異次元の少子化対策」として23年末に3・6兆円規模となる「こども未来戦略」の加速化プランを策定。児童手当の拡充など子育て世帯の負担軽減を掲げ、財源には社会保険料の一部である公的医療保険料に上乗せ徴収する子ども・子育て支援金を充てる方針だ。高齢者も含め広く徴収するため、政府は「全世代で子育て世帯を応援する支え合いの仕組みだ」と強調してきた。
ただし、負担軽減の恩恵を受けられるのは主に多子世帯だ。児童手当拡充の中身は、所得制限の撤廃▽第3子以降への増額▽受給対象を高校生年代まで延長――で、これまで所得制限のあった高所得世帯と子ども3人以上の世帯以外にとっては、子ども1人あたりの支給増加額は高校3年間分の36万円にとどまる。加速化プランで掲げられた大学など高等教育費の負担軽減も、主に多子世帯が対象だ。ユキさんは「2人目すら迷うのに、3人なんてとても無理。一人っ子のままなら、この先恩恵を受けることはほとんどないかも」と肩を落とす。
選挙戦では各党が子ども・子育て支援策を公約に掲げるが、「政治とカネ」の問題が最大の争点となり、論戦は深まっていない。ユキさんは「子育て世帯が不安なく生活できるよう現実的な対策を打ってほしい」と訴える。
「一生結婚するつもりない」未婚者が上昇傾向
一方、少子化の要因として加速する未婚化も挙げられる。23年の婚姻件数は47万4717組で前年より3万213組減少し、戦後初めて50万組を割り込んだ。50歳時点の未婚率は1980年に男性2・60%、女性4・45%だったが、2020年には男性28・25%、女性17・81%まで上昇している。18~34歳の未婚者のうち「一生結婚するつもりはない」と回答した人は00年以降上昇傾向で、21年時点で男性17・3%、女性14・6%となっている。 結婚を希望する未婚者の「出会い」などを支援しようと、こども家庭庁は昨年度補正予算と今年度当初予算を合わせて計100億円を計上。この予算を活用し、宮城県はAIを活用したマッチングシステムで婚活を支援し、愛媛県はお見合い事業に乗り出している。
SNS上にあふれる子育ての大変さ
こうした政府の取り組みは若者のニーズに合致しているのだろうか。 「ネットでは結婚や出産に関するネガティブな情報ばかり。(若い世代は)リスクを感じて二の足を踏むのかなと思いました」 東京都内の大学1年、南光開斗さん(20)は7月、こども家庭庁の有識者検討会でそう発言した。検討会は、結婚や出産を希望する若者たちが直面する課題を考えようと、こども家庭庁が立ち上げたもの。メンバー12人のうち南光さんを含む7人が20代だ。
南光さん自身は、いつか結婚して子育てしたいという。ただ、SNS(ネット交流サービス)では毎日のように子育ての大変さや結婚の不自由さに関する投稿が流れる。「親ガチャ」や「毒親」といった言葉も並ぶ。
南光さんは「ネット上で、親や家庭にまつわるしんどいことやつらいことが可視化されるようになってきた」と指摘。一方、「親として正しくあらねばならない」との意識が同世代間で強まっていると感じるという。「自分たちの世代は、就活を見据えたキャリア教育などで見通しを持って将来を考える計画性が求められてきた。その中で、結婚や子どもを持つという不確実な未来に対して恐怖を感じやすくなっているかもしれない」と言う。
少子化対策に詳しい、コラムニストの荒川和久さんは「職場結婚に代表される社会的な『お膳立て』の減少や、社会保険料負担の増加などによる若い世代の経済状況の悪化といった若者を取り巻く社会、経済環境の変化が未婚化につながっている。婚活や出会い支援の前に、若者たちの可処分所得を増やさなければ、結婚しようと思える若者は増えない」と指摘する。【塩田彩】
「何かあっても大丈夫」と思える対策を
少子化に歯止めがかからない中、現役世代の負担が増加している。働いても「手取り」は増えず、先行きが不透明だからこそ、子どもに少しでも安定した将来を、と早期教育にお金をかける。子育て費用が増えれば、持てる子どもの数も減る。
余裕のない子育て世代の姿を見て、若い世代は子どもを生み育てることへのリスクを敏感に感じ取る。現在の負担と将来への不安が両輪となり、少子化を後押ししているようだ。
政府が「異次元の少子化対策」として打ち出した「こども未来戦略」の加速化プランは、財源の一部を全世代から徴収する「子ども子育て支援金」で賄う。児童手当拡充分などで子育て世帯に還元されるが、国会審議では支援金の徴収によって結婚、出産前の若い世代の可処分所得を減らすという指摘もあった。
これに対し政府は、医療介護の歳出改革で社会保険料の伸びを抑え、支援金分を捻出すると繰り返し説明した。だが、歳出改革の具体的な議論は進んでいない。歳出改革で高齢世代に「痛み」を負わせれば、現役世代の将来不安をあおりかねないという面もある。
少子化対策は目先の受益を得る層が限定されるために、世代間や子どものあるなしなどで分断を生みやすい。限られた財源の中で複数の政策を同時進行する必要があり、効果検証もしにくい。対策は待ったなしだが、結婚や出産が個人の自由意思に基づくものであるという大前提はゆるがせにできない。考えるほど、特効薬のない難しい課題だと感じる。
確かなことは、若者や子育て世代が「何かあっても大丈夫」と思える社会でなければ、安心して子どもを生み育てることはできないということだ。多方面に複雑な課題を抱えるテーマだからこそ、衆院選では威勢の良いスローガンだけでなく、生活者に寄り添った誠実な議論を望みたい。