『鬼平犯科帳』のタイトルは担当編集者による岩波新書の新聞広告からの「パクり」だった?…名前をパクられた「犯科帳」とは本当は何なのか(2024年10月15日『現代ビジネス』)


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池波正太郎の代表作の一つ、『鬼平犯科帳』は、時代小説や時代劇を好きな人はもちろん、そうでない人も、そのタイトルを耳にしたことがあるだろう。火付盗賊改方長官・長谷川平蔵を主人公とする捕物帳で、舞台は江戸である。
この作品の影響で、「犯科帳」は江戸における裁きの記録だと思っている人が多いのではないだろうか。じつは、そうではない。
名前だけが独り歩きした「犯科帳」とは、本当は何なのか。
(10月17日発売)より抜粋・編集してお届けする。
「犯科帳」と聞くと「鬼平」、「鬼平」と聞くと「犯科帳」。歴史小説好きなら、こうした連想をする方は多いだろう。これは池波正太郎の代表作のひとつ『鬼平犯科帳』が、年齢を問わず世の中に浸透している証でもある。主人公の火付盗賊改・長谷川平蔵が江戸を舞台に盗賊を懲らしめ、時には鬼となり、時には仏になって人に接する。その姿勢に魅力を感じるファンが現在も多くいる。
鬼平犯科帳』シリーズの初代担当編集者であった花田紀凱によれば、池波正太郎に依頼した連載の原稿の通しのタイトルが決まらずに悩んでいた時、新聞の下段にある書籍広告にふと目が留まったという。それが岩波新書の森永種夫著『犯科帳――長崎奉行の記録』(昭和37年1月初版)の広告であった。
花田紀凱の「『鬼平犯科帳』誕生秘話」によれば、「で、思いついたのが『鬼平犯科帳』。要はパクったのである。(中略)池波さんには事後報告だったけれど、そのまま通ったのだから、多分、気に入っていただけたのであろう」とある。こうして実在する史料の名だけが記録内容とは乖離して、広く世間に浸透していくことになったのだ。
本書では、この『鬼平犯科帳』に名をパクられた、元の記録に注目する。記録の史料名は正式には「犯科帳」で、日本史や日本法制史を研究する人たちによくその存在を知られている。現在は、長崎歴史文化博物館に収蔵されている。
「犯科帳」の魅力
長崎歴史文化博物館が収蔵する古文書類の核になっているのが、「長崎奉行所関係資料」である。これは江戸幕府が設けた遠国奉行のひとつであった長崎奉行所が所管していた文書・絵図1242点からなるもので、現在、国指定重要文化財となっている。
本馬貞夫の『貿易都市長崎の研究』によると、国の指定の範囲は長崎奉行所に保管されていた文書および絵図類のなかで来歴が明白な資料に限られ、時代の下限は原則、長崎奉行所の政務を引き継いだ長崎会議所の存続期間(慶應4〈1868〉年2月14日)までに作成された資料、上限は寛文長崎大火後の寛文6(1666)年となっている。今回取り扱う「犯科帳」も、この資料の中に含まれている。
「犯科帳」の魅力は江戸幕府の体制が確立した寛文期(1660年代)から徳川家が大政奉還する1867年までのおよそ200年間という、ほぼ江戸時代全般にわたって長崎における犯罪および処罰のあり様を定点観測できるところにある。
じつは、江戸時代の「裁き」の記録で現存しているものは、「犯科帳」を含めて現在(2020年5月)、3点しか確認されていない。その一つは近年、最高裁判所の倉庫で発見されたことが話題になった幕府の裁判記録「御仕置廉書」18冊である。幕府の司法関係記録は関東大震災で焼失したと思われていたのでまさしく大発見ではあったが約150年分であり、記録された期間としては「犯科帳」よりもかなり短い。これよりも少し長い期間の記録が、長崎県対馬歴史研究センターに所蔵されている「罰責」で、こちらは宝永4(1707)年から明治2(1869)年までの163年間の記録である。
本書で取り扱う「犯科帳」は、これよりもさらに39年長い期間の記録である。全部で145冊あり、寛文6(1666)年から慶応3(1867)年にかけての長崎奉行所での審理にもとづく刑罰の申し渡し、不処罰の申し渡しが記録されている。法制史上の貴重な資料とされ、約260年間続いた江戸時代の社会を知ることのできる好個の史料である。
歴史好きの方なら、森永種夫の『犯科帳――長崎奉行の記録』『幕末の長崎――長崎代官の記録』『流人と非人――続・長崎奉行の記録』(以上、岩波新書)を読んでその存在をご存じの方もいらっしゃるだろう。年配の方だと、これをもとに昭和50(1975)年に日本テレビ系で放送された『長崎犯科帳』が記憶に残っている方も、まだいらっしゃるかもしれない。
この史料は古文書が読めなくても、森永種夫編『長崎奉行所判決記録 犯科帳』が11巻刊行されているので内容を知ることができる。近年、この「犯科帳」を分析した安高啓明『近世長崎司法制度の研究』、同『新釈犯科帳 長崎奉行所判例集』(1)~(3)も参考になるだろう。
なお、当時の犯罪の記録として長崎歴史文化博物館には、「犯科帳」とは別に「御仕置伺集」がある(こちらも森永種夫編『御仕置伺集』上・下巻として刊行されている)。こちらのほうが「犯科帳」よりも記録された内容は詳しいが、事件は121件しか掲載されていない。
松尾 晋一(長崎県立大学教授)

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江戸の犯罪録
長崎奉行「犯科帳」を読む
江戸時代の「大都会」長崎。200年、全145冊の記録が明らかにする時代の素顔! 抜荷発覚を恐れて自害した犯人の死体を塩漬けで保存。死骸を磔/心中相手を刺殺するも自分は死にきれず、自首して斬首に/奉行所から障子を盗み出したところを見つかり死罪/漁師のはえ縄が引き上げた銀子から抜荷が発覚。犯人は全員死罪/偽銀作りで親が死罪・獄門。子どもは縁座で遠島/遠島先で人を殺して死罪/1人の女が3人の男と密通。女を巡って刃傷沙汰を起こした男2人は刎首獄門、もう1人の男は陰茎切、女は鼻そぎ/密通相手の男を斬殺した夫はお咎めなし。密通した妻は死罪。
定価1320円(税込)
ISBN9784065374849