袴田さん再審無罪が確定、事件の刑事責任はもはや追及不可 立ちはだかる「公訴時効」、本当に必要なのか?(2024年10月12日『弁護士ドットコムニュース』)

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再審無罪判決が出された静岡地裁(keisukes18 / PIXTA
1966年に発生した静岡県一家4人殺害事件で死刑が確定した袴田巌さんに言い渡された再審無罪判決について、静岡地検は10月9日、上訴権を放棄し、無罪判決が確定した。
控訴断念を明らかにした検事総長談話によると、「本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます」と不満をみせるも、「袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し(た)」とし、控訴を断念したとしている。
この結果、死刑事件では戦後5件目となる再審無罪が確定したわけだが、事件の真相は依然として不明のままだ。
何より、事件の「公訴時効」はすでに成立している。
現行の刑事訴訟法は、人を死亡させた罪であって法定刑として死刑が定められている犯罪について「公訴時効なし」としているが、事件当時の同法は「公訴時効15年」としていたため、事件の刑事責任を問うことはもはや不可能だ。
刑事裁判で、被害者遺族などの無念をはらす、また真実の解明を果たすことは叶わない。
●一部の重大犯罪を除き、「公訴時効」は今も存在する
静岡県一家4人殺害事件の解明に立ち塞がった「公訴時効」だが、殺人罪などの「人を死亡させた罪であって法定刑として死刑が定められている犯罪」以外については、今も1~30年の範囲で定められている。
たとえば、傷害罪の公訴時効は「10年」、窃盗罪は「7年」、わいせつ物頒布等罪は「3年」となっている。
最長の公訴時効「30年」に該当するのは、「人を死亡させた罪であって法定刑として無期懲役禁錮が定められている犯罪(死刑に当たるものを除く)」で、具体的には、不同意わいせつ致死傷罪や不同意性交等致死傷罪などが挙げられる。
一定の期間が経過したから犯人が無罪放免になることに納得できないのは、何も殺人罪などの凶悪事件ばかりではないように思えるが、なぜ公訴時効は存在するのだろうか。全面的に廃止することにはどんなデメリットが考えられるのだろうか。刑事事件に詳しい神尾尊礼弁護士に解説してもらった。
●袴田さんの現状「法曹の1人として大変恥ずかしい」
まず、袴田さんを長期間拘束し、さらに死刑と毎日直面せざるを得ない状況としてしまったこと、法曹の1人として大変恥ずかしく感じます。袴田さんが穏やかな日々を過ごされることを心から願っています。
冤罪事件は、やってもいない罪で人を裁くという、被告人にとってとても重大な人権侵害です。ただ、被害者や遺族にも冤罪事件は影を落とします。真犯人を取り逃がすことが多くなるからです。
冤罪事件は、被告人にとっても、被害者や遺族にとっても、万が一にもあってはならないことです。
●公訴時効が存在する趣旨とは
しかし、この事件の真犯人は、刑事裁判で裁かれることはもうありません。
1966年に起きた事件は、当時の法律(2004年刑訴法改正前)により、公訴時効が完成してしまいました。2010年改正により殺人罪の時効は廃止されましたが(刑訴法250条1項)、すでに時効完成している事件には適用されず、時効は完成したままになります。
公訴時効が完成すると、有罪判決は出されず、免訴判決というのが出されます(刑訴法337条4号)。これは要するに裁判の打ち切りです。袴田さんの事件の真犯人に有罪判決を科すことはできないのです。
真犯人がいるのに時効で逃げられるというのは釈然としないかもしれませんが、公訴時効の趣旨は以下のようなものが合わさったものといわれています。
(a)被害者側の事情「時が経つことで、被害者を含む社会の処罰感情が薄れる」
(b)刑事裁判の事情「証拠が散逸することで、きちんとした裁判ができなくなる」
(c)犯人側の事情「一定の期間罪に問われず社会関係を築いており、それを尊重すべきである」
民事にも時効はありますが、上記の刑事に引き寄せて考えれば、以下のような整理ができると思います。
(A)請求する側の事情「権利の保全を怠った以上、保護されなくても仕方ない」
(B)民事裁判の事情「証拠が散逸することで、きちんとした裁判ができなくなる」
(C)請求される側の事情「長く続いた事実関係を尊重すべきである」
こうして比較してみると、公訴時効はいくつか検討すべきことがありそうです。
【公訴時効を廃止する方向】
(a)社会の処罰感情は薄れることがあるかもしれないが、被害者や遺族の処罰感情が薄れることは、特に重大な事件の場合にはほとんどないのではないか。民事は自分で権利を行使できるが、刑事は捜査機関に委ねなければいけないというのもある。
(c)罪を犯したのに、犯人側の「もう罪に問われなくて済む」といった期待を保護してよいのか。民事であれば、ずっとお金を請求されない、ずっと所有しているといった事実を保護してよい場合は多いが、刑事で保護されるのは真犯人である。
【公訴時効を残す方向】
(b)民事でも刑事でも証拠の散逸が問題になるが、刑事においてはDNA型鑑定など科学技術の発展によって散逸の問題が生じにくくなる面がある。ただ、刑事ではアリバイなどの証拠も散逸してしまい、冤罪の危険も増してしまう。有罪方向の証拠(現場から採取されたDNA型情報など)は残るが、無罪方向の証拠(別の場所にいたという目撃証言など)は残らない場合も多い。
以上のように、民事との比較も踏まえて検討すると、被害者や遺族の処罰感情と、被告人の防御をどう調整するかが主要な切り口ではないかと私は考えています。
なお、裁判所は集団予防接種事件などで事案によっては民事上の時効(除斥期間)を事実上無制限とする判決を出していますが、被告人の防御の問題は冤罪に直結しかねない以上、民事の判決を刑事にも援用していくことは難しいと思います。
●現行の公訴時効制度と問題点・改善案
そこで現行の制度です。
2010年刑訴法改正後、人が亡くなっていて死刑もあり得るもの(殺人罪など)の公訴時効は撤廃され、その他の罪も軒並み時効期間が長くなっています。
重大事件は遺族の苦しみが一生続く以上、時間が経過したからといって処罰しないというのは社会的な理解を得られにくいでしょう。
ただ、被告人の防御に十分配慮されているかどうかは、袴田さんの事件を指摘するまでもなく甚だ疑問です。たとえば、以下(1)~(4)のような方策は考えられるでしょう。
(1)DNA型情報の採取・鑑定等は、捜査機関と独立した機関が(も)行う
事件から長期間経って犯人が逮捕されることを想像すると、DNA型情報の一致によることが多そうだと思います。
逆に言えば、他の証拠(例えばアリバイを証言してくれる人、防犯カメラなど)はなくなる一方で、DNA型情報だけしか残っていないことも考えられるわけですから、DNA型情報が正確に採取され鑑定されている必要があります。
現在、科捜研や科警研が鑑定などを行っていますが、捜査機関から独立した組織とは言い難いです。将来の冤罪事件を防ぐためにも、中立的な法科学センターを作るべきと考えます。
一例ですが、海外では米テキサス州のヒューストン市で独立の法科学センターが設立されています。
(2)DNA型鑑定の際には全量消費を禁止する
刑事裁判をやっていて比較的よくみるのが「鑑定資料は全量消費した」との記載です。これは事後的な検証を不可能にします。少なくとも有罪立証の根幹になり得る鑑定資料は、再検証に耐えられるよう保管する制度を作るべきと考えます。
なお、犯人が分からなくても、「こういうDNA型情報を持つ者が犯人だ」という形で起訴することを認め、公訴時効を停止させる制度もあり得ます。アメリカでは性的虐待などに適用されています(「ジョン・ドゥ起訴」などと呼ばれることもあります)。
この制度を日本に導入するには、上記のようにDNA型情報の信用性の問題をクリアしないと難しいと思います。また、DNA型が採取されたかどうかで結論が大きく変わることにもなり、被害者間での不平等も生じ得ます。
(3)アリバイ等の被告人に有利な証拠を広く利用できるようにする
袴田さんの裁判で焦点になったのは、検察側にある証拠が開示されるかどうかでした。再審の規定には、証拠開示の定めはありません。裁判所の訴訟指揮によって開示がされ、無罪に繋がったといわれます。
事件発生から時間が経っていれば、ただでさえ被告人が使える証拠が限られてしまうのですから、被告人が(特に自己に有利な証拠に)アクセスできる制度もまた重要です。
なお、再審にかかる規定が不十分であることについては、超党派の議連が立ち上がっていますので、政治的な解決がされるかもしれません。
(4)取調べの全過程を可視化する
DNA型情報がない事件では、長期間にわたって(任意の)取調べを重ね、自白を強要されることもあり得ます。
日本では、取調べの録音録画がされている事件は数パーセントに過ぎないとされており、特に任意の取調べにおいては録音録画されていない事件ばかりです。
ドラマ「ミステリと言う勿れ」でも主人公が連日任意の取調べを受けるシーンがありましたが、捜査官が胸ぐらを掴んでも記録には残らないわけです。
取調べを可視化することは、後述の捜査機関の信頼にも繋がるのではないかと考えます。
●公訴時効の撤廃と捜査機関への信頼は表裏一体
結局、公訴時効を撤廃するには、それだけ捜査機関に強い権限を与えることになりますから、被告人の防御権が十分に確保されることを前提に、捜査機関への信頼なくしては成り立たないと思います。
 
袴田さんの事件では捜査機関による「3つの捏造」が認定されました。
捜査機関への信頼が揺らいでいる以上、公訴時効の撤廃を拡大していくには、信用性の制度的担保が必要不可欠ではないかと考えます。
【取材協力弁護士】
神尾 尊礼(かみお・たかひろ)弁護士
東京大学法学部・法科大学院卒。2007年弁護士登録。埼玉弁護士会。一般民事事件、刑事事件から家事事件、企業法務まで幅広く担当。企業法務は特に医療分野と教育分野に力を入れている。
事務所名:東京スタートアップ法律事務所