戦争の記憶は、身近な土地と結びつくと風化を免れる。次の世代につなぐこともできる。今夏、あらためてそう思う出来事があった。
「秘密」は薄い壁の向こうに 資格者と無資格者が混在した結果起きた「漏えい」
自宅の地下に防空壕
我が家は横浜市内の崖の上にある一軒家なのだが、土地を購入し、家の建築に入ったとき、どこからともなく現れた老人がこう言った。「ここに家を建ててはならぬ!」。びっくりして話を聞いてみると、崖の下に戦時中、防空
この出来事を機に横浜大空襲について調べた。横浜市の資料によると、1945年5月29日午前9時20分頃から約1時間にわたり、中部太平洋・マリアナ諸島の基地を離陸した517機の米爆撃機B29の大編隊が、計2570トンもの爆弾を市街地に投下した。現在の中区や西区が猛火につつまれ、3650人が死亡、1万人が重軽傷を負ったという。我が家からは、遠くに高層ビルが立ち並ぶ「みなとみらい地区」が見える。かつてその方向に炎が立ち上がったのだ。歴史を知ると、自分が暮らす街が重層的に見える気がした。
「大和」の映像を発掘
今夏、十数年前のそんな出来事を思い出したのは、大分県宇佐市で活動する航空戦史家・
織田さんは、日本海軍の艦上機の搭乗員を養成する「宇佐海軍航空隊」の歴史などを調べる宇佐市の市民団体「
米国に2回出向き、1500万円の私費をつぎ込んできた織田さん。実は出身は兵庫県姫路市だ。2015年にはより活動に力を入れるため、地縁がない宇佐市に移り住み、市職員となった。成果は専門誌に公表しているほか、講演会やイベントなどで宇佐市の子どもたちに伝えている。たとえ79年前の出来事であっても、子どもたちに自分が今住んでいる場所で空襲があったことを説明すると、戦争の怖さをしっかり受け止めてくれるという。「戦争の惨禍は土地の記憶と結びつくことで、より身近なものになる」との言葉が胸に刺さった。
「故郷」の戦火の記憶を
新潟県出身の私にとって、横浜はいわば偶然、住み着いた場所だ。しかし、この家で生まれ育った小学生の一人娘にとって、横浜は故郷になる。我が家の近くには、連合艦隊の司令部が置かれた巨大な地下壕もある。いずれ娘を連れて見学してみたい。戦争を体験したことはなくても、土地に刻まれた記憶を見て学び、考えることで、戦争の傷痕を次の世代につなげることができると思う。
横浜大空襲では、家を焼かれるなどした罹災者は31万人に上る。今にして思えば、防空壕の存在を教えてくれた老人も、子どもの頃、迫り来る米軍機から逃げ惑い、その中に駆け込んだのかもしれない。もし再会できればこう尋ねてみたい。「あの日、あなたは空に何を見たんですか」と。