仙台に巨大防空壕 全長200メートル超、10の小部屋 発見の研究会「貴重な戦争遺跡」(2024年8月17日『河北新報』)

 仙台市市民グループ「仙台・空襲研究会」は、市内に大規模な横穴式の防空壕(ごう)を発見した。全長は200メートルを超えるとみられ、10室の小部屋があるなど複雑な構造を持つ。研究会は「民間用の避難壕でこれほど長い造りは見たことがない。他に類を見ない貴重な戦争遺跡だ」と指摘し、市に保全と公開を働きかけている。(せんだい情報部・吉江圭介)

仙台市内で発見された大規模で複雑な構造の防空壕(仙台・空襲研究会提供)

 研究会によると、壕は町内会に当たる「公会」が1944年に、市の補助を受けて掘削を開始した。壕の概要は略図の通り。坑道の幅と高さはそれぞれ2メートル前後で、壁面につるはしを使った痕跡が残る。長さは20メートルを基本とし、縦横にいくつも分岐している。

 地面は平たんで、側壁にはベンチのように腰かけられるスペースもある。側溝や換気孔なども確認された。天井は入り口付近が平らで、途中からアーチ型に切り替わっている。

 坑道につながる形で、小部屋が10室点在する。居住用や掘削作業員の休憩場、トイレといった用途が考えられる。

 45年初頭の国庫補助によって規模を拡大させた可能性もある。当時の市長や知事が視察に訪れたとの記録があり、大がかりな事業だったことがうかがえる。

 壕に多数の住民が逃げ込んで助かったとの証言を踏まえ、空襲研究会は2019年冬、避難した体験者からの聞き取りや史料を基に場所を特定した。20年1~3月には安全性に留意しつつ、複数回にわたって内部を調べた。

 現在は二酸化炭素の濃度が高く、危険があるとして調査を見送っている。場所も明らかにしていない。

 新妻博子代表は「壕の保存状態が良く、全国的にも価値が高い」と指摘。「なぜこうした構造になっているのか、さらに詳しく調べないと分からない。戦後80年に向け、子どもたちの学習の場や学術研究などに活用できるよう考えてほしい」と要望する。

 市教委文化財課も「かなりの規模で、空襲の様子を現代につぶさに伝える貴重な遺産」と評価。所在地の区が安全対策を講じた上で、現地の確認や写真、動画の撮影を進めることを検討している。

[仙台市内の防空壕] 太平洋戦争末期の1945年2月時点で、大小5万5000カ所以上が存在し、ほとんどが簡素な竪穴式。横穴式は米軍がサイパンに上陸し、本土空襲が本格化した44年から広瀬川沿いや北山などに掘られ、国庫補助を受けたのは13カ所とされる。約1400人が亡くなった45年7月10日の仙台空襲では、平たんな市街地の地面に掘った竪穴式は焼夷(しょうい)弾を防げず、多数の市民が命を落とした。横穴式にたどり着いて生き延びた市民は限られる。