ブラジル、日系人に謝罪 歴史直視の大切さ示した(2024年8月1日『毎日新聞』-「社説」)

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謝罪の言葉を述べて頭を下げるブラジル政府諮問機関の責任者(右)=ブラジル・ブラジリアで2024年7月25日、共同
 自国にとって不都合な「負の歴史」に正面から向き合うことの大切さを示すものだ。
 ブラジル政府が第二次大戦中と戦後の日本人移民迫害を人権侵害と認め、初めて謝罪した。
 ブラジル沖縄県人会などが、賠償を伴わない謝罪の審議を政府の諮問機関に求めていた。被害者の多くは沖縄出身者だった。
 大戦で連合国側についたブラジルでは当時、日本は敵国だった。南東部サンパウロ州沖で商船が攻撃された際、港町サントスに住む約6500人がスパイとみなされて収容所などに送られた。いわゆる「サントス事件」である。
 戦後、日系社会で日本の勝利を信じ込んでいた「勝ち組」と、敗戦を受け入れた「負け組」が衝突し、20人以上の死者を出した。この時に勝ち組の172人が収監され、拷問を受けた。多くの人は殺人事件とは無関係だったという。
 同様に日系人を強制収容した米国とカナダの政府は、1988年に謝罪している。ブラジルの対応が遅れた背景には、長年にわたって軍事政権が続いた事情がある。
 日系移民の側も口を閉ざしてきた。さらなる排斥を恐れ、ブラジル社会に溶け込むことを優先したためだ。
 迫害が語られるようになったのは15年ほど前からだ。日系3世のジャーナリストや日本人の映画監督が当事者の証言を集め、人権侵害の過去に光が当てられた。
 日系人からの申し立ては右派のボルソナロ前政権下で却下されたものの、被害者の救済に積極的な左派のルラ政権が昨年発足したことで謝罪が実現した。
 多くの国が長い間、抑圧や人権侵害の歴史から目を背けてきた。だが自省なき国家は歴史から教訓を学ぶことができずに、過ちを繰り返しかねない。
 バイデン米大統領は2022年、日系人強制収容から80年にあたり、改めて謝罪の声明を出した。国の指導者が負の歴史を直視し続ける姿勢を示した好例だ。
 世界の分断が広がり、排外主義が横行する中、自国の過ちを認める謙虚さがより重要になっている。近隣諸国との間で歴史認識問題を抱える日本も過去から目をそらすことなく、誠実な対応に努めなければならない。