歌手の園まりさん死去 80歳 「逢いたくて逢いたくて」など(2024年8月1日『共同通信』)

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 歌謡祭で歌う園まりさん=2010年10月、東京都内
 ヒット曲「逢いたくて逢いたくて」などで知られた歌手の園まり(その・まり、本名薗部毬子=そのべ・まりこ)さんが7月26日午前5時43分、急性心不全のため東京都の病院で死去した。80歳。横浜市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
 1962年にデビュー。中尾ミエさん、伊東ゆかりさんと「三人娘」としてテレビに出演し、人気を博した。64年の「何も云わないで」や、岩谷時子さんが作詞し、宮川泰さんが作曲した「逢いたくて―」がヒットした。他の主な代表曲に「夢は夜ひらく」「愛は惜しみなく」。「逢いたくて―」などは同名で映画化され、自身が主演した。
 ドラマや舞台、バラエティー番組でも親しまれた。


歌手の園まりさん死去、80歳 「逢いたくて逢いたくて」などヒット 「三人娘」で活躍(2024年8月1日『産経新聞』)
 
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園まりさん=2015年、東京都渋谷区
 
 
ヒット曲「逢いたくて逢いたくて」などで知られた歌手の園まり(その・まり、本名・薗部毬子=そのべ・まりこ)さんが7月26日午前5時43分、急性心不全のため東京都の病院で死去した。80歳。横浜市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
昭和37年にデビュー。中尾ミエさん、伊東ゆかりさんと「三人娘」としてテレビに出演し、人気を博した。39年の「何も云わないで」や、岩谷時子さんが作詞し、宮川泰さんが作曲した「逢いたくて―」がヒットした。他の主な代表曲に「夢は夜ひらく」「愛は惜しみなく」。「逢いたくて―」などは同名で映画化され、自身が主演した。
NHK紅白歌合戦は38、39年に中尾さんらと3人で、40~43年はソロで出場した。ドラマや舞台、バラエティー番組でも親しまれた。
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3人娘結成50周年記念のひな祭りコンサートを開いた(左から)伊東ゆかり中尾ミエ、園まり=2012年3月3日、東京・渋谷区のオーチャードホール

中尾ミエさんが追悼(2024年8月1日『産経新聞』)
 
「楽しい思い出をありがとう」
 
7月26日に死去した歌手の園まりさんは、昭和37年デビュー後、中尾ミエさん、伊東ゆかりさんと「三人娘」としてテレビに出演し活躍した。歌手で俳優の中尾さんは、次のような談話を発表した。
 
 
 
思い返せば長い付き合いでした。嫌々組んだ「三人娘」だったけど結局これが運命だったのね。人生〝終わり良ければ全て良し〟と言うけれど、まさにあなたの最後は見事でした。楽しい思い出をありがとう。落ち着いたらもう少しの間、ゆかりと私を見守ってください。まりちゃん、お疲れさま。
 
伊東ゆかりさんが談話(2024年8月1日『産経新聞』)
 
7月26日に死去した歌手の園まりさんについて、園さん、中尾ミエさんとともに「三人娘」として活躍した歌手で俳優の伊東ゆかりさんは1日、次のような談話を発表した。
すごく寂しい。お見舞いに行った時、コメント考えてねって…考えられるわけないじゃない。60年以上のお付き合いで、たくさんの思い出がありすぎです。歌手仲間というより、心の友、親友です。もう会えないのね…。薗部毬子様、お疲れさまでした。
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園まり=2003年

園さん訃報にあべ静江「近くて遠い、遠くて近い存在でした」(2024年8月1日『サンケイスポーツ』)
 
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急性心不全のため7月26日午前5時43分に東京都内の病院で死去した歌手、園まりさん(享年80)の訃報が明らかになった1日、歌手のあべ静江(72)がサンケイスポーツの電話取材に応じた。
コンサートやディナーショー後に食事、カラオケなどをともにした大先輩の訃報を事前に知らされていたといい、「独特な空気を発している方。すてきな先輩でしたので寂しい」とポツリ。
高校生のときに園さんの歌を聴き「自分の声質が似ていると思って、テープレコーダーに園さんの歌を吹き込んでいつも聴いていました。近くて遠い、遠くて近い存在。親しさを感じる方でした」としのんだ。
そして、あべは出演していたタレント、ビートたけし(77)のフジテレビ系ドラマ「こにくらじいさん」に触れ、「園さんがゲスト出演されたことがあって、スーパーで野菜、果物売り場で涙をしている役柄を迷いながらやっていらっしゃいましたがピッタリでした」と懐かしんだ。

伊東ゆかり、園まりさんを悼む「歌手仲間と言うより、心の友、親友です」 中尾ミエと「3人娘」として人気(2024年8月1日『サンケイスポーツ
 
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「逢いたくて逢いたくて」の大ヒットなどで知られる歌手で女優、園まり(その・まり、本名・薗部毬子=そのべ・まりこ)さんが7月26日に急性心不全のため亡くなっていたことが1日、発表された。80歳だった。通夜・告別式は近親者のみで執り行った。
訃報を受け、園さん、中尾ミエ(78)と「3人娘」を結成してNHK紅白歌合戦にも出演した歌手、伊東ゆかり(77)が追悼コメントを発表した。以下、コメント全文。
凄く寂しい、淋しい。お見舞いに行った時、コメント考えてねって・・・考えられる訳ないじゃない。
60年以上のお付き合いで、沢山の思い出がありすぎです。
歌手仲間と言うより、心の友、親友です・・・もう逢えないのね・・・。
薗部毬子様 お疲れ様でした・・・。

歌手の園まりさん死去 80歳 急性心不全 代表曲は「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」(2024年8月1日『日刊スポーツ』)
 
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園まりさん
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スパーク3人娘(左から)中尾ミエ、園まりさん、伊東ゆかり(1962年11月)
渡辺美佐叙勲・受賞を祝う会」のパーティーでの園まりさん=2004年4月14日撮影第49回歌謡祭で歌う園まり=2022年11月9日撮影
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渡辺プロ所属スターが勢揃い(左から)中尾ミエ、園まりさん、ザ・ピーナッツ伊藤えみさん、渡辺美佐さん、渡辺晋さん、伊東ゆかり、ゆみさん、梓みちよさん、木の実ナナ
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園まりさんと石原裕次郎さん
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新曲発表のキャンペーンで珍しい水着姿を披露する園まりさん=1971年7月撮影
歌手で女優の園(その)まりさん(本名・薗部毬子)が7月26日に急性心不全で都内の病院で亡くなっていたことが1日、分かった。日本歌手協会が発表した。80歳だった。通夜・告別式は園さんの意向で近親者で執り行ったという。
発表によると、園さんは2008年に乳がんを発症し手術したが19年に再発。闘病生活を続けながらも中尾ミエ伊東ゆかりと「三人娘」のコンサートやテレビなどに出演していた。昨年10月に開催された「日本歌手協会第50回歌謡祭」には出演予定だったが、体調不良で入院。復帰するために治療に専念していたという。
園さんは1956年、本名の薗部毬子名義で、童謡歌手としてデビュー。60年にNET(現テレビ朝日)「あなたをスターに」で優勝後、62年「鍛冶屋のルンバ」でレコードデビュー。同年7月フジテレビ「レッツゴー三人娘」で中尾、伊東と「スパーク3人娘」を結成し日本テレビ系「シャボン玉ホリデー」などに出演し人気となった。ささやくように語りかける独特の歌唱が特徴で代表曲としては「何も云わないで」「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「何んでもないわ」「愛は惜しみなく」などがある。「逢いたくて-」は同名で映画化され、自身が主演した。
NHK紅白歌合戦には63、64年に三人娘で、65~68年はソロで6回連続で出場した。また66~67年にかけてマルベル堂のブロマイド売り上げで2年連続で女性歌手第1位を獲得した。その後、ドラマ、CM、バラエティー、舞台とマルチタレントとして活動を続け、04年からは「三人娘 復活コンサート」全国ツアーを開催。19年には「日本レコード大賞」功労賞を受賞している。ブログも今年4月まで更新を続けていた。
日本歌手協会では、8月21日放送のBSテレ東「プレイバック日本歌手協会歌謡祭」(午後5時56分)で園さんを追悼する特別番組を放送予定だという。