相次ぐ不祥事に川路利良は泣いている…148年前に編纂された「警察手眼」に見る警察官のあるべき姿(2024年7月22日『デイリー新潮』)

「日本警察の父」
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大警視(後に旧警視長を経て現在の警視総監) 川路利良(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 〈https://www.ndl.go.jp/portrait/〉)
 
 東京・府中市の警視庁警察学校にある「川路広場」には、今年で創立150年を迎えた警視庁の初代警視総監(当時は大警視)、川路利良(1834~1879)の銅像が建てられている。入校式などの行事はもちろん敬礼などの所作や部隊行動・行進、多くの警察官が「最もキツかった」と回想する「教練」の様子などを見守っている。
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書かれている文言はやはり、捜査の極意だった
「日本警察の父」と呼ばれる川路は旧薩摩藩士で、1872(明治5)年、西郷隆盛(1828~1877)の推薦を受け欧州各国の警察制度を研究するため渡欧、フランスのパリ警視庁などを視察した。帰国後、1874(明治7)年に発足した東京警視庁の大警視に就任。木札の身分証明証を警察手帳に変更し、警察学校の前進にあたる巡査教習所や警察病院を設立した。警視庁や大阪府警などが採用している管内を分ける「方面」など、川路が生み出した制度は今も残るものが多い。
 川路は1877(明治10)年の西南戦争で政府軍に属し、大恩ある西郷を敵に回して薩摩軍と戦ったことから、「故郷に弓を引いた」との批判も受けた。しかし、没後120年の1999年、生まれ故郷である鹿児島県の、それも県警本部前に銅像が建立された。
 現職警察官による不祥事が相次いだ上に、県警本部長を告発した前生活安全部長(60)が職務上知り得た秘密を外部に漏らしたため逮捕――川路の地元・鹿児島県警は今、未曽有の事態に揺れている。
 そんな川路が公私にわたり残した訓戒や説示を部下の植松直久(1846~1882)が集めて編纂した『警察手眼(けいさつしゅげん)』が1876(明治9)年9月に刊行されている。「警察官ノ心得」「署長心得」「部長心得」「巡査心得」「探索心得」など8項目、85編が記されている。
「明治時代に書かれたものとはいえ、警察官のあるべき姿や捜査の極意など、その内容は今の時代にも通じる警察官のバイブルです。鹿児島県警だけでなく全ての警察官は今一度、いや何度でも読み返して欲しいと思います」(元警察キャリア)
 では、そんな“警察官のバイブル”には具体的にどんなことが書かれているのだろう。
自分を戒め徳を修めよ
《警察官ハ眠ルコトナク、安坐スルコトナク、昼夜企足(きそく=足を立てていること)シテ怠ラサルヘシ》(警察官ノ心得)
 これは勤務中の怠慢を戒めるもの。休憩時間は別として、警察官は社会のあらゆる事象に注意を払い、危害の発生を防がなければいけない。何もないからと居眠りしたり、のんびり座っていたりしては緊急事案に対応できない。勤務時間中は昼夜の別なく、いつも足を立て、事件が起きたらすぐに飛び出していけるようにする。
 この項に続けて、警察官は民衆保護の大任を任されているのだから、まず自分を戒め、さらに徳を修めて、人格の修養に努めるようにと説く。人格下劣で徳もない警察官がいくら制服を着て警察権力を振りかざしても、市民は「猿が冠をかぶっている」くらいにしか思わない。
職務質問や取締りの現場で相手とトラブルになる警察官は、最初から居丈高で上から目線で話すタイプが多い。職務質問は隠語で“ばんかけ”と言います。語源は諸説ありますが、犯罪者が多く出歩く夜に不審者を見つけた際、『おいこら!』でも『ちょっと待て』でもなく、まずは『こんばんは』と声をかけたことから“ばんかけ”と言われるようになったと言われています。丁寧な市民接遇を忘れてはいけません」(署長経験のある元警視庁警察官)
《警察官ハ人民ノ為ニハ、保傅ノ役ナリ、故ニ我ニ対シテ如何ナル無理非道ノ挙動アルモ道理ヲ以テ懇切ヲ尽シ其事ニ忍耐勉強スヘシ》(警察官ノ心得)
 国民を仮に児童とすれば、警察官の役目は保母(現在は保育士)となる。是非分別のできない児童がどんな無理難題を言っても、腹を立てずに言葉を尽くして正しい道を教えるのが保母の役目である。警察も同様で、相手がどんなに無理非道の挙動があっても、自分の職責はその子守り役だと思えば怒る理由はない。ただし、それを貫くには相当な忍耐力を要する。凶悪不逞の徒や、いうことを聞ない対象者に腹を立てず、温顔で接しておだやかに道理を説き、最後には対象者を心服させることこそ、警察官の職責を全うするものである。
「今年の6月、代々木上原駅前交番を訪れた女性に暴行を加え、首にけがをさせた警視庁の警察官(56)が、特別公務員暴行陵虐致傷容疑で逮捕されました。無断で施設に立ち入ったと、関係者と一緒に訪れていた際に、女性が無言で立ち去ろうとしたので床に押さえつけたというものです。勤務中は色々な人に接しますが、相手の言動によってカッとなる時もあります。しかし、そういう時こそ思い出したい一節です」(警視庁OB)
「声なきに聞き形なきに見る」
《上官ヲ補助スル深切ナル我補助官タル限リハ此上官ヲシテ其職ヲ安全ナラシメンコトヲ保任スヘシ上官ニ失体アレハ己其補助ノ足ラサル者トシ外ニ向テ恥チ内ニ取テ己ヲ責ムヘシ。己カ失体ハ上官ノ失体ナリ上官ノ失体ハ己ノ失体ナリト心得ヘシ》(巡査心得)
 上官の補助は、徹底してやる。自分が補佐として在職する限り、上司を誤らせないようにする心がけが必要だという。上司が失敗した時は自分の補佐が足らないからで、外部に対して恥と考えないといけないし、心の中では自分を責めなければいけない。
「自分の失敗は上司の失敗、上司の失敗は自分の失敗――上下一体の心構えです。別の項では部下に対しては私心を捨て、公平でなくてはならないとも説きます。最近は警察でもパワーハラスメントで処分される警察官が増えました。それも上司から部下へだけでなく、適切な指揮をしない上司に部下が無視したり悪態をついたりするという事案もありました。組織ですから気の合わない上司の下につくこともありますが、階級に関係なく胸に刻みたい一文です」(前出・警視庁OB)
《探索ノ道微妙ノ地位ニ至リテハ声ナキニ聞キ形ナキニ見ルカ如キ無声無形ノ際ニ感覚セサルヲ得サルナリ》(探索心得)
 捜査の極意である。隠れていたものを明らかにし、偽りの中から真実を発見する。その手段は隠密に、あるいは公然と、またはわざと油断を見せて相手を誘い込むことも必要だ。耳はウサギのように鋭敏で、鼻は犬のように敏感で、目は千里の向こうまで見通せなければならない。声(情報)にならず、形(犯罪)に現れるより前に感知すべき。
《怪シキ事ハ多ク実ナキモノナリ決シテ心ヲ動カスへカラス然レトモ一度耳ニ入ルモノハ未タ其ノ実ヲ得スト雖モ亦怠ラサルハ警察ノ要務ナリ》(探索心得)
 噂話は確実な事実がないものが多く、すぐに消えることも多い。しかし、『火のない所に煙は立たず』の例え通り、一度、おかしな噂を聞いた時はあらゆる方面から噂の周辺を探り、その真否を捜査することは警察の大事な仕事である。
「声なきに聞き、形なきに見る。いつの時代になっても通用する捜査の極意だと思います。今はネットやSNSで情報が氾濫し、各種犯罪の温床にもなっています。事件の端緒はいたるところにある現代ですが、捜査の基本は変わりません。令和の時代になっても、川路の説いた警察官の心得は不変です」(前出の元警察キャリア)
註:荒木征逸・著『全訳警察手眼』(警察時報社)から一部を引用・参考にしました。
 
デイリー新潮編集部
 
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近代警察の父、川路利良大警視の生涯とその教えを知る。今回の改訂にあたって、川路大警視の訓示部分にフリガナを付し、読みやすくしました。
[目次]
第1 川路利良略伝
第2 警察手眼
警察要旨
警察官ノ心得 警察官等級ノ別
部長心得
公則私則ノ別
署長心得
巡査心得
探索心得
付録 川路大警視時代の事跡