鹿児島県警本部前にたたずむ初代大警視(現在の警視総監)の川路利良(1834~79)は、きっと怒りに震えていることだろう。
川路は明治初期にフランス・パリで警察制度について学び「市民のための警察官」を理想に、日本への警察制度の導入に尽力した人物だ。
今年は、警視庁が創立され150年ということもあり「日本警察の父」と呼ばれる薩摩出身の川路について以前、このコラムで取り上げた。
県警では、捜査情報を漏えいしたとする国家公務員法(守秘義務)違反の罪で前生活安全部長が起訴された。県警トップの本部長を名指しし「県警職員の犯罪行為を隠蔽(いんぺい)しようとしたことが許せなかった」と指摘。本部長は否定したが、前部長側は、不正を内部告発する公益通報のようなもので守秘義務違反に当たらないと主張する。
さらに、再審で弁護側の証拠に利用されるのを防ぐためとして、捜査書類の廃棄を促す内部文書を作成していたことも発覚した。
川路の銅像が建てられたのは没後120年となる1999年。命日の10月13日に除幕式があった。以来、県警本部を見守り続けて四半世紀になる。この間、県警の警察官や職員は、どういうまなざしで銅像を見つめていたのだろうか。日本の警察制度の土台を築いた故郷の偉人の理念や教えは、忘れ去られてしまったのか。
川路が説いた警察官の心得をまとめた訓示集「警察手眼」には「警察官は道理と法を尊重し、公正、忠実に職務に尽くせ」というような内容がある。謹厳実直な川路は、たとえ身内の警察官であっても、決して不正を見逃したり、許したりすることはなかったという。
警察官の本分を忘れたかのような古里の状況に、あの世の川路もきっと、苦虫をかみつぶしたような表情をしているに違いない。
一体警察は何のために存在するのか。川路が思い描いた「市民のため」という初心に返る必要がある。