「パパは必ず、元気で、ここに帰る」妻殺害の罪でまたも有罪判決の講談社「モーニング」元次長 泣きじゃくる子らに(2024年7月21日『AERA dot.』)

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判決後の記者会見の様子。右から、朴被告の弁護人、母、弟、支援者である友人(撮影/大谷百合絵)
 妻を殺害した容疑で2017年1月に逮捕された、講談社漫画誌「モーニング」元編集次長(現在は退職)の朴鐘顕(パクチョンヒョン)被告(48)は、一貫して無実を訴えてきた。『GTO』などのヒット作を手がけた敏腕編集者で4児の父でもある朴被告は、キャリアも家族も捨てる覚悟で、妻・佳菜子さん(当時38歳)を手にかけたのか。事件の真相に注目が集まる中、裁判は一審・二審で有罪判決が下ったのち、最高裁が「審理が十分に尽くされていない」と東京高裁に差し戻す異例の展開に。そして今月18日。差し戻し控訴審が下した結論は、再びの「有罪」だった。
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「しょんぼりしてるヒマなんてないぜ」朴被告から子への手紙
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 数年にわたり面会や書簡で交流を重ねてきた筆者に対し、朴被告は以前から、差し戻し審への強い期待をにじませていた。東京拘置所から届く手紙にはこんな言葉がつづられていた。
「僕は無罪になる。そう信じています。きつく、きつく」
「興奮しています。7月18日、帰れるのです。僕は、世界へ、帰れるのです」
 だが、証人尋問、弁論、と公判が進むにつれ、心の奥に巣くう不安ものぞかせていた。
「裁判はね、酔うのです。くらくらする。被告席酔いと言うべきものがあるのです。証人や裁判官の一挙手一投足によって、僕の運命は激しく揺れ動きます。あの短い時間の中で、僕の有罪無罪が、ころころと、右往左往するのです」
「これが僕です。弱くて、ちっぽけで、毎日ふるえています」
 期待と不安に押しつぶされそうな日々を送っていたのは、朴被告の4人の子どもたちを女手一つで育てる、朴被告の実母(72)も同じだ。7月上旬、朴被告の母は筆者へのメールの中で、「無罪で帰って来ると信じている反面とても不安です。頭から判決の日のことが離れません」と、こぼしていた。判決前夜は、神経が高ぶったせいか、夏にも関わらず手足が冷えて寝つけず、温かいスキムミルクを飲んでなんとか眠ったという。
■自殺か他殺か 被告側/検察側の主張は?
 朴被告の妻・佳菜子さんの死をめぐり、被告側と検察側の主張は真っ向から対立してきた。
 被告側によると、2016年8月9日未明、朴被告が仕事を終え帰宅すると、産後うつを患っていた佳菜子さんが錯乱状態に陥っていた。包丁を手に子どもに危害を加えようとしたため、朴被告は制止しようと1階の寝室でもみあった後、子どもを抱いて2階の子ども部屋に避難。数十分後に部屋を出ると、佳菜子さんは階段の手すりに巻きつけたジャケットに首をかけ、自殺していたという。
 一方、検察側は、被告人は寝室で妻ともみあいになった末に首を絞めて脳死状態に陥らせ、その後、事故死を装うために階段から突き落としたと主張している。
 双方決定的な証拠は認められず、状況証拠の積み重ねによる審議が続いてきた。19年の一審判決に加え、21年の二審判決でも懲役11年の実刑が言い渡された際は、朴被告の友人や母、そして子どもたちも、公正な裁判を求める署名活動を行った。
 22年11月、最高裁がこれまでの審理に「重大な事実誤認の疑いがある」として高裁への差し戻しを決めたことで、再び無罪となる希望が見えた。今年7月に入り、差し戻し控訴審判決の18日が目前に迫ると、朴被告の子どもたちは「あと17日」「あと16日」と指折り数えていたという。しかも、判決日の2日後には夏休みが始まり、さらに数日後には朴被告の誕生日も控えている。
「小学3年生の末っ子は、『パパが帰ってきたら一緒にプールに行く』『ディズニーランドに連れて行ってもらう』なんて楽しみにしていて。上の子たちは、(裁判の結果に)さんざん打ちのめされてきたからか、もう少し冷静ですね。『もし無罪にならなかったら、パパの心は大丈夫かな』と朴のことを気遣っていました」(朴被告の母)
■「僕はしてないんです、裁判長」
 そして訪れた、7月18日。世間の注目度の高い事件であることが考慮されたのだろう、約100人を収容できる東京高裁の大法廷で、判決は言い渡された。
「本件控訴を棄却する」
 髪を短くそった黒スーツ姿で出廷していた朴被告は、「……え?」と声を漏らし、間髪入れずにこう叫んだ。
「それでは、この国には裁判はないことになってしまう!」
 有罪理由を淡々と述べる裁判長に、朴被告は何度も、異議を口にした。
「静粛にお願いできますか? あなたがいる状態で判決を最後まで言い渡したいので」ととがめられると、
「僕はしてないんです、裁判長、していないんです」と必死に訴える朴被告。10秒ほど沈黙のまま見つめ合ったのち、裁判長は再び判決文を読み上げはじめた。
「原判決の判断は、論理則、経験則等に照らして、不合理であるとは言えません」
「被告人の供述は全体的に見ても信用性が認められません」
 裁判長の言葉を聞きながら、朴被告は終始悲痛な表情を浮かべ、頭を抱え、天を仰ぎ、手元のノートにメモをとっていた。
 判決の宣告が終わると、手錠と腰縄をつけられた朴被告はおもむろに傍聴席を振り返り、家族や友人たちに「この間違いは必ず訂正される、大丈夫」と力強く声をかけた。最高裁に朴被告の無実を訴える上申書を提出したこともある佳菜子さんの父の姿を見つけると、大きくうなずき、刑務官に連れられて法廷をあとにした。
■事件の日、子どもたちは現場を見ていた…?
 当日夕方に開かれた記者会見で、朴被告の母は、「私、今から家に帰って、子どもたちに今日のことをどう報告したらいいのか……。とてもつらいです」と涙をこぼした。
「(事件の日、)朴が赤ちゃんを抱いて子ども部屋に逃げこんできた姿を、上の子たちは見ているんですよ。だから子どもたちは、『パパは悪いことなんかしてない』『無罪になって帰って来る』って信じて待っているんです。当時小学3年生だった子はもう高校2年生です。一番下の1歳だった子は8歳になりました。あまりに残酷すぎます。上告したら、今度こそ正しい判断をしていただきたいです』
 朴被告の家族は、再びの有罪判決が出た日の夜をどのように過ごしたのか。翌19日、朴被告の母に改めて話を聞いた。
「私、朴が帰ってきたら、きのこが入った牛肉のおつゆを作ってあげようと思って材料を買っておいたんです。昔からあの子の大好物で、よく大きな丼ぶりで平らげていました。でも、裁判から帰ってきたら頭がフラフラしてしまって、次男(朴被告の弟)が『少しでも気晴らしになれば』と買ってきてくれたピザをみんなで食べました」
 家には、朴被告とその家族を長年支えてきた、朴被告の友人たちも集まってくれた。その際、朴被告のかつての職場の先輩にあたる一人が、「万が一有罪判決が出たら、これを子どもたちに読んでほしい」と朴被告から手紙を託されていたことを明かし、涙ながらに読み上げた。
■「みんなも力いっぱい生きるんだよ。待っててね」
「みんな、パパだよ。しょんぼりしているね。パパもしょんぼりしている。おんなじだ。でも、聞いてくれ。パパは決して負けない。パパは絶対に負けない。大丈夫だ」
「『わたしは、ぼくはかわいそうだ』と思うことは、許しません。それはつまらないことです。くだらないことです。そんなことよりも、ほら、まわりを見てごらん。何人もの人たちがいる。~中略~ パパの子どもの君たちが、このやさしい、しょんぼりしたおとなたちのことを励ましてあげなきゃ」
「パパは必ず、元気で、ここに帰るよ。それまで、みんなも力いっぱい生きるんだよ。毎日楽しんで、楽しんで、笑って、こつこつ頑張るんだよ。OK。待っててね」
 子どもたちは、手紙の内容を聞き終わると立ち上がり、「ありがとうございます。パパが帰ってこられるよう、これからも応援お願いします」と、集まった支援者たちにお礼を言ったという。
 だが、当然ショックは大きいようだった。小学3年の末っ子はその晩、シャワーを浴びて出てくると、「パパに帰ってきてほしかった!」と床に顔をこすりつけて泣きじゃくった。翌日、学校の修了式から帰ってきた中学1年の次女は、「本当は、パパと一緒に家で通知表を見てたはずだったのにね」とつぶやいた。
 朴被告の母は判決の翌朝、息子と面会するため東京拘置所に出向いた。「昨日は眠れなかった」と告げた朴被告は、年齢不相応にくっきりと刻まれたほうれい線の印象を差し引いても、憔悴(しょうすい)している様子だった。だが、「最後まで闘う」と、あくまでも前を向いていたという。
 宣告された刑期は11年だが、すでに7年半を拘置所で過ごしている朴被告。逮捕当初から子どもたちと交わしてきた「元気で家に帰る」という約束を果たすため、次は差し戻し判決を下した最高裁で、上告審に臨む。
AERA dot.編集部・大谷百合絵)
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「わすれてしまいそうです」朴被告が娘からもらった手紙