「群疑(ぐんぎ)に因(よ)りて独見(どくけん)を阻(はば)むことなかれ」。明代の書物「菜根譚(さいこんたん)」の一文を自著の冒頭に掲げた。多数が疑っても正しい意見は曲げないという人生訓。「不協和音のすすめ」と題したエッセーも書いた
▲「タテ社会をヨコに生きて」はオーラルヒストリー本のサブタイトル。大学と裁判所を往復した異例の経歴が迎合しない姿勢につながったのだろう。ロッキード事件や玉串料訴訟、裁判官懲戒事件。関わった判決の多くで独自に意見を付け加えた
▲祖父も父も法律家でソウルで生まれ、父と共に台湾に移った。終戦の年、旧制台北高校への入学が決まった直後に16歳で警備召集され、米軍上陸に備えて坑道を掘らされたという。その後、旧制四高に進み、晩年に日本寮歌振興会の会長を務めた
▲「面倒な反発を恐れて政治家は皇室の課題を脇に置く。憲法学者は触らぬ神にたたりなしで矛盾を素通りする。国民も関心を寄せない。このままでは皇室の縮小が続きます」。小紙のインタビューに答えている。与野党の党首選候補は皇室制度研究で知られた法律家の「遺言」をどう聞くだろうか。