篠田博之月刊『創』編集長
判決後の会見。右端が弁護人、その左が朴被告の母親(筆者撮影)
判決の主文を聞いて被告が声をあげた
2024年7月18日、東京高裁の大きな法廷で行われた公判には、60人ほどの定員の3倍ほどの傍聴希望者が訪れた。午後2時に開廷が告げられたその公判で、講談社元社員である朴鐘顕さんに差し戻し審の判決が言い渡された。
「控訴棄却」
判決主文が読み上げられた瞬間、「え?」と意味が理解できなかった。1審有罪判決、2審が控訴棄却だったが、最高裁で破棄差戻となり、再び高裁で審理という、やや複雑な過程をたどった裁判だったためだ。しかし、次に家令和典裁判長が、未決勾留何日分を算入する云々という有罪判決で語られる文句を口にしたので、有罪判決だ、とわかった。
次の瞬間、被告の朴鐘顕さんが「それでは、裁判はないことになってしまう」と声を上げた。その後、判決理由が述べられていく途中でも朴さんは「僕はしてないんです、僕は…」と声をあげた。裁判長は声を上げる朴さんを制止し、何度か続いた時には「退廷を命じますよ」とも言った。
法医学者・清水恵子教授の証言を一蹴
判決理由では、被告側の控訴理由が、第一に訴訟手続きの法令違反、第二に事実誤認だったことを示し、それぞれについて判断をくだしていった。訴訟手続きについては「許容される」として問題ないとした。次に事実認定については、争われてきた争点をあげながら、「認定に誤りはない」とした。
現場の状況をどう考えるかという認定はほとんど検察側の主張を丸のみしたものだった。
今回の差し戻し審では、弁護側が申請した旭川医大の法医学者・清水恵子教授が新たに証言し、検察の見立てを批判、それはこの裁判の山場でもあったのだが、判決はそれを一蹴という感じで退けた。しかもその見解を「写真のみの所見なので…」とさえ言いきった。
法廷でも清水教授は、写真や記録からでも法医学的な判断はできると言っていたし、朴さんの妻の頸部に残された痕跡についても、上着のようなもので圧迫したという被告側の説明と合致するとしていた。その説明は具体的で、傍聴席で聞いていてとても説得力があったのだが、判決はそれをほとんど退けた。
妻の顔面の血痕という争点について裁判長が読み上げていた時には、再び朴さんから「無茶苦茶だな」という言葉が漏れた。
警察官の直感が客観的事実に…
この裁判は、朴さんの妻が亡くなったことについて、自殺だという朴さんの説明と、殺害したうえで自殺を装ったという検察側の主張が対立、自殺か他殺かが争われたものだ。どうしてそういう事態になったかといえば、現場に駆け付けた警察官に朴さんが、妻は階段から落ちたことにしてもらえませんかなどと話したためらしい。警察官の直感として亡くなった妻の夫に不審の念をいだいたことが捜査の出発点っだった。朴さんにすれば、子どもたちに対して母親が自殺したとは言えないという思いを語ったものだった。しかも動転していたであろう状況下でのことだ。
そこから夫は妻の救命に積極的でなく、救急隊員に当初、自殺だとの説明もなされなかったという見方が生まれたらしい。それは検察官も主張していたのだが、今回の判決でも「積極的に救命行動をとらなかったことも行動として不自然と言わざるをえない」と語られていた。その瞬間、朴さんは「しましたよ」と声を挙げた。
そもそも妻を助けようとすることに積極でなかったというのは、救急隊員か警察官の印象で、朴さんに不審感を抱いたこともあってそう感じたのかもしれないが、あくまでも主観的受け止めだ。しかし判決では、それが客観的事実のように語られていた。
閉廷時にも「僕は間違ったことしてません」
裁判長が判決文を読み上げ、最後に不服の場合は15日以内に上告することという説明をしている時にも、朴さんは「裁判長、僕は間違ったことしてません」と声をあげた。
そして「この間違いは必ずただされる、大丈夫」。さらに傍聴席の方に向かって「大丈夫だから」と言った。それは前列に座っていた母親へ向かって言っているように見えた。
朴さん自身も無罪判決を信じていたと思うし、母親や子どもたち家族全員がそう信じていたから、ショックを受けているだろうことは明らかで、朴さんは家族へ向けて「大丈夫」と言ったのだろう。
閉廷後、母親はそのままじっと前を向いたままだった。私は心配して母親の顔をみつめたが、茫然自失といった表情に見えた。
私も事件ものの取材が多く、かなりの裁判を傍聴してきたが、今回の判決にはいささか驚いた。最高裁で審理不十分として差し戻され、その差し戻し審では、検察側は従来の主張を繰り返すだけだったし、あらたに証人として旭川医大から駆け付けた、法医学の世界では有名な清水恵子教授が、検察の主張を厳しく批判した。そういう一連の流れを見れば、無罪判決が出る可能性が高いと思えた。
最大の争点になっていた妻の顔面の出血についても、写真からは判別しにくいし、そもそも朴さんが、救急隊が駆けつける前に妻の血を拭ったと主張していたから、その顔面写真について血痕なのか影なのかといったことを議論すること自体が無意味だというのが全体の結論になっていたように思えるが、今回の判決はそのことを認めたうえで、しかしそれ以外の証拠からでも原判決の認定は不自然と言えないと言っていた。最初から有罪の心証を持って裁判を進めていたという印象が拭えない判決だった。
多くの疑問が残る判決
事件当時、朴さんの説明によると、育児ノイローゼになっていた妻が深夜、子どもを殺して自分も死ぬと言って夫ともみ合いになり、一時失神状態になったがすぐに起き出したというのだが、検察の見立ては、そのもみ合いで首を絞められた妻はそこで死戦期、つまり脳死状態に陥ったというものだった。今回の判決では、そういう状態になった妻が起き上れる状態になるには最低でも30分ほどかかるはずで、すぐに起き上ったという被告の主張は不自然だと言っていた。
あとの記者会見で母親はそれに触れて、それは妻が死に至るほど首をしめられていなかったことを示すもので、判決のようにすぐに起き上ったのは不自然というのはおかしい、最初から裁判官が有罪という見方をしているとしか思えない、と語っていた。確かにそれは、母親の理解の方が合理的だ。差し戻し審をほぼ傍聴してきて、その結果が、ここまで一方的な有罪認定かと、率直に言って、驚きを隠せなかった。
もちろん、確たる証拠もないし、妻の死後、朴さんが血痕を拭いたりした後で救急隊が駆けつけているから、現場検証の結果といっても、限界がある。そういう状況で今回示された認定はかなり一方的で、相当乱暴な判決だというのが正直な感想だ。会見で朴さんの弟さんが、「疑わしきは罰せずという考え方も適用されない、その意味では誰もが罪を着せられかねない恐ろしい状況だと思います」と語っていたが、まさにそうだ。
会見で涙ぐんだ母親の言葉
2017年に講談社の現役編集者だった朴さんが逮捕された「妻殺害」事件は、出版界でも驚きをもって受け止められた。1審2審は有罪判決で、最高裁でそれを覆すのはかなり難しいと思われたが、上告段階で朴さんの大学時代の友人たちが支援する会を立ちあげ、私の編集する月刊『創』(つくる)や『週刊朝日』(同誌休刊後はAERA.dot)、それとNHKなどのメディアが、この裁判への疑問を次々と報じていった。裁判官OBなどからも疑問の声が出され、そうした動きが影響してか、2022年11月、最高裁は原判決破棄差戻という決定をくだしたのだった。
この間、私は月刊『創』とヤフーニュースに相当量の記事を書いてきた。経緯を詳しく知りたい人は、この記事の末尾に過去記事の一覧を掲げたので参考にしてほしい。また判決の後、午後4時半から司法記者クラブで、支援する会、主任弁護人、朴さんの母親、そして弟の記者会見が行われた。そこでの発言も紹介しよう。
主任弁護人の山本弁護士は、まだ判決文が手元に届いてないので詳細な検討はこれからさがと言ったうえで「一言で端的に言えばあまりにも不当な判決だと思います」と語った。そして、公判後、朴さんとも話をし、当然、上告すると明らかにした。
2023年差し戻し審開始後に取材を受ける母親(筆者撮影)
母親は差し戻し審の最初の公判の後もマスコミの囲み取材に応じたが、これまではマスクで顔を隠したままだった。今回、判決後の会見で初めて、マスコミ取材に素顔で臨んだのだった。
《息子は一生懸命編集の仕事に専念して、奥さんとも相思相愛で家庭を大事にし、子どもたちを大事にしてきました。子どもたちもパパが好きで信じています。
だから私、今から家に帰ってどういうふうに子どもたちに今日のことを報告したらいいか、本当にとてもつらいです。
7月に入ってからは毎日、18日からマイナスの計算をしていったんですね。1日経ったからあと17日、もう1日経ったからあと16日、今日の朝起きた時はもう0日だね、パパは今日帰ってくるから今日で0日だねと言っていました(涙ぐむ)。子どもたちも「パパ何時に帰ってくるの?」って言ってました。絶対信じてる。そのくらいパパが恋しくて、帰ってくるのを待っているのに、どう子どもたちに報告したらいいのか。
私から見ても聞いてても今日の判決はあまりにも理不尽で納得がいきません。有罪に持っていこうとするように理論立てている。私が聞いててもとても理解できません。一旦逮捕した人には、有罪しかないという、そういうような感じです。
もう8年経ってます。子どもたちも、小学3年生の子が高校2年生、一番下の1歳だった子が8歳になりました。みんな4人ともパパが好きで、家で待っているんです。
今日私は今から家に帰って、どう子どもたちに話したらいいんでしょうか。つらくてつらくて、あまりにもかわいそうすぎて……。
最高裁で、ちゃんと正しい審理をするようにと差し戻されましたけど、今度こそ本当に正しい判断をしていただきたいです。》
泣きながら子どもたちは…
母親は判決の出た翌日に息子の朴さんに面会している。その時の様子と、18日夕方、子どもたちに判決について説明した時の様子を、20日午後に聞いた。
《18日は会見の後、家に帰ったら、息子の友人の皆さんがいらっしゃっていました。私は子どもたちにどう説明したらよいかと思っていたのですが、息子がそのもしもの時のことを考えて、知人に便箋3枚の手紙を託していたんですね。それを読み上げる間、子どもたちは泣きながら聞いていました。ただ手紙の最後に、子どもたちに、これまでもこれからも応援してくれる人たちに感謝して、ありがとうと挨拶してほしいと書いてあったんですね。それを受けて長女が、子どもたちを代表して「ありがとうございます」と言いました。
その後、一人ずつ挨拶し、皆が泣きながら聞いていました。お客さんたちが帰られた後、中1の子は「パパが帰ってこれなかった」と泣き出しました。また夕食の後にも小3の子が「帰ってきてほしかった」と言って、床に顔をつけてうつぶせになって泣いていました。寝る前にも一番下の子がだいぶ泣いていまして、長女が途中で「おやすみなさい」と言いに来たのですが、泣くのをいっしょうけんめいこらえていましたね。
私は子どもたちに、健康でいればお父さんはいつか帰ってくるからと言い聞かせました。来週にも子どもたちを2人ずつ、父親の面会に連れていくつもりです。
息子には19日、判決の翌日に面会しましたが、前の晩は眠れなかったと言っていました。判決についてはひどい、弁護士さんと相談して上告の内容を考えると言っていました。
判決の日に家に帰ってからの子どもたちの様子を話したら涙ぐんでいましたね。
今回は皆が無罪判決を信じていたけれど、ただ万が一のことも考えておかなければという気持ちもありました。でもまさかの現実で、冤罪の恐ろしさを痛感しました。
会見の時にも言いましたが、奥さんが首を絞められてすぐに立ち上がったという息子の主張は不自然で、30分くらいは気絶しているはずだと判決で言ってましたが、それはそんなにひどく首を絞めていなかったということでしょう。そう考えるのが自然なのに、どうあっても有罪に持っていこうとするわけですね。
それから裁判で清水先生が証言してくれた内容を、写真を見ただけだからと言って終わりにしていたでしょう。科学的にいろいろ立証してくれたのに、それを全く無視してしまう。有罪という、自分たちが考えたセオリー通りに持っていこうという判決でしたね。》
改めてこの裁判について思うこと
記者会見での「朴鐘顕くんを支援する会」や主任弁護人の発言、朴さんの弟さんの発言は追ってこのヤフーニュースにアップしたいと思う。
前述したようにこの裁判は、確たる証拠が存在せず、残された現場の痕跡によって、朴さんの説明と検察側の推論とどちらが現実に近いか、妻は自殺なのか他殺なのか争ったものだ。最高裁が審理を差し戻してからの公判を傍聴し、法医学の清水教授の証言、弁護側の最終弁論を聞いていて、検察の推論はほとんど粉砕されたという印象を感じていたから、判決文を聞いていてとても驚いた。
そもそも妻が亡くなった現場である朴さんの家に行き、その急な階段を見れば、瀕死の妻を朴さんが偽装のために2階まで持ち上げ、階段から突き落としたというストーリーはかなり無理なものであることがわかる。さらに、朴さんの説明を裏付ける、2階のドアは押収されたままで、裁判では無視されたままだ。朴さんの説明では、一時的に失神したと思われる妻がその後、朴さんと末の子が避難した2階にあがろうとしてドアに阻まれ、ドアの外側から包丁を突き立てたとされ、ドアにはその痕跡が残っているはずなのに、検察の推論と矛盾するそうした証拠は採用されていない。恐らく検察側の推論では、そうしたものも朴さんが偽装したという見立てなのだろう。
確たる証拠がないのに、「疑わしきは被告人の利益に」という原則が適用されず、朴さんを8年間も拘束、子どもたちを両親不在の状態に置いているというこの残酷な現実を裁判官たちは認識しているのだろうか。朴さんだけでなく、4人の子どもたちや母親を含めた家族の人生を台無しにしていることへの想像力が働いているのだろうか。
裁判の行方を追ってきて、今回の判決は、法廷で聞いていて、これはちょっとひどすぎるのではないかとの思いを禁じ得なかった。
8年の間に子どもたちも成長していろいろなことを勉強し、今回、中学生の子どもは、日本では裁判にかけられると99%が有罪になってしまうと聞いたと話していたという。袴田事件を始め、誤判や冤罪がこれだけ社会的議論になっている時代に、裁判官は自らの責任について改めて思いを馳せてほしい。そう思わざるをえない。
これまでこのヤフーニュースにも相当量の記事を書いてきた。今回の裁判での弁護人の説得力ある最終弁論についても月刊『創』では記事にしたのだが、ヤフーニュースにあげていなかったことに気が付いた。近々アップしたいと思うが、ここではとりあえず差し戻し審が始まってからの2本の記事を下記に示す。
裁判についてのもっと詳細な記録については、「朴鐘顕くんを支援する会」のサイトをぜひご覧いただきたい。
このヤフーニュースでの差し戻し審開始後に書いた記事を2本あげておこう。
講談社元社員「妻殺害」差し戻し裁判が大きな山場!旭川医大・清水惠子教授の証言は…
https://cms-expert.yahoo.co.jp/article/update/1698840
講談社元社員「妻殺害」事件の差し戻し審開始!マスコミの注目度も高まった
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/841d89e4ce1d3fbe158424b7ccb5dc078e3450cf
事件全体についてはNHKの下記のサイトが詳細でわかりやすい。
“決定的証拠なき裁判” 講談社元社員の夫 有罪判決はなぜ
https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pj5De06Yv2/
月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。
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著者:篠田博之
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