ハンセン病と人権 誤った医療の記録後世に(2024年6月29日『西日本新聞』-「社説」) 

 ハンセン病患者を隔離収容していた国立療養所で、人倫にもとる医療行為の実態が明らかになった。
 熊本県合志市の菊池恵楓園で戦中、戦後にかけて、開発中の薬剤を入所者に投与する臨床試験が行われ、多数の副作用が確認されたにもかかわらず継続された。試験期間中に死者も出ている。
 園がまとめた調査報告書を基に、ハンセン病問題を再認識し、今日に通じる教訓を見いだしたい。
 薬剤は旧陸軍が寒冷地で凍傷対策などに使うことを想定していた虹波(こうは)で、熊本医科大(現熊本大医学部)を中心に研究されていた。
 結核への治療効果から、結核菌と近縁のらい菌がもたらすハンセン病にも着目した。菊池恵楓園では1942年から47年までに、6歳児を含め少なくとも472人に投与されたとみられる。
 報告書に記された臨床試験の様子にがくぜんとする。入所者の言葉を借りれば「壮大な人体実験」である。
 投与は筋肉注射、喉から吸入、肛門から注入など多様な手段が試された。投薬量にも差があり、最初は毎日3錠の服用が30錠まで増えた被験者もいる。
 副作用は頭痛や嘔吐(おうと)、全身の倦怠(けんたい)感などさまざまで、胃けいれんを起こした入所者は「胃がでんぐり返って、痛くてたまりませんでした」と園の聞き取りに答えている。
 戦中に9人の被験者が死亡し、特に2人は副作用の影響が疑われるという。
 報告書は問題点として(1)被験者が十分な説明を受けていない(2)医師への遠慮のため参加を拒否できなかった(3)体調が悪化しても適切な治療を受けられなかった-など9項目を挙げた。「病理学・薬理学的な根拠が不足していた」との指摘もある。生命を軽んじていたと言わざるを得ない。
 異様な臨床試験には、ハンセン病療養所ならではの事情が反映されている。
 明治以降、国はハンセン病患者を療養所に隔離した。昭和に入ってからは自治体と国民が一体となった無らい県運動を展開し、警察を使って強制収容を推し進めた。
 医師である園長には懲戒検束権が与えられ、規則に反した入所者に監禁などの制裁を科すことができた。
 副作用があっても「園長が怖くて本当のことが言えなかった」という趣旨の証言も残る。閉ざされた療養所で暮らすしかない入所者が口を挟めなかったことを、報告書はありありと伝える。
 菊池恵楓園は調査を継続している。他の療養所でも資料を掘り起こし、検証を進めてもらいたい。
 虹波の臨床試験のように、療養所における人権侵害の元凶は国の誤った隔離政策であり、それに加担した国民も決して無関係ではない。
 ハンセン病問題に終わりはない。過酷な歴史を風化させてはならない。 

恵楓園「虹波」報告 人体実験の過ちを教訓に(2024年6月29日『熊本日日新聞 』-「社説」)
 
 「人体実験」の疑いが濃厚だ。医療倫理と人権意識を欠いた行為で、断じて許されない。全容解明と検証を尽くし、過ちの教訓を見いださなくてはならない。
 国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(合志市)が、戦時中から戦後に入所者に投与した「虹波[こうは]」と呼ばれる薬剤の臨床試験に関する中間報告書を公表した。重篤な副作用が生じても試験を中止せず、強制隔離された患者の命を軽んじた実態が浮き彫りになった。
 虹波は写真の感光剤から合成された。旧陸軍が寒冷地での凍傷対策に生かそうと開発を主導。熊本医科大(現熊本大医学部)が研究委託を受け、当時の恵楓園長も臨床試験に携わった。試験は1942~47年に実施され、被験者は判明分だけで472人。試験中に9人が亡くなり、うち2人は副作用の影響が強く疑われるという。
 初回の試験には入所者の約3分の1が参加した。当時、ハンセン病治療の特効薬はまだ日本国内で使われていなかった。結核患者の回復例があったとされる虹波に期待した人もいただろう。
 ところが、副作用は深刻だった。報告書は「七転八倒の苦しみできりきり舞いして、お茶も水も飲めないほど胃が痛んだ」などの体験例を示した。園長室に呼び出され、毎日3錠を服用させられたという。虹波は注射や塗り薬のほか、肛門や膣[ちつ]からも投与された。嘔吐[おうと]や発熱など多くの副作用が生じたにもかかわらず、戦後まで試験を中止しなかった。軍事目的を失ってもなお、患者虐待を続けた重大な人権侵害だ。
 報告書は、臨床試験の問題点として▽被験者への十分な説明がなかった▽入所者は参加を拒めず、試験中止を訴えられなかった▽薬剤の効果について正直に所感を述べられなかった-などを挙げた。
 その背景には「医師への遠慮」があったと指摘する。実験当時、入所者が療養所の外へ出て生活するのは極めて難しかった。園長は「懲戒検束権」を有しており、懲罰を恐れる入所者が指示に従わざるを得ない事情もあった。患者の自由と権利を奪う強制隔離政策の下で、医療倫理がおろそかにされたのは明らかだ。
 園長は43年、虹波による回復例を記録したとされる映像を制作した。入所者がバケツを持って歩けるようになった様子などを収めている。園長は虹波の効果を信じていたかもしれないが、副作用の映像はない。研究成果をアピールする意図がうかがえ、臨床試験をゆがめた行為と言うほかない。
 軍部と医学が結び付き、社会から排除されたハンセン病患者を実験台にした歴史を忘れてはならない。徹底検証を続けるべきだ。
 報告書では、多磨全生園(東京都)や長島愛生園(岡山県)など恵楓園以外の療養所でも虹波が投与された可能性に触れた。被験者数は増えるかもしれない。これで臨床試験の真相が完全に解明されたとは言えない。虹波の詳細な成分も判明していない。医学や薬学など専門家の協力が必要だ。