「岐阜自衛官候補生銃乱射事件」から1年…「日本のメディア」は、なぜ「加害者の家族」までも不必要に追い詰めるのか(2024年6月15日『現代ビジネス』)

未だ解明できない事件の真相
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 2023年6月14日、岐阜市陸上自衛隊日野射撃場で、実弾射撃の訓練中、19歳の当時、自衛官候補生が小銃を発砲し隊員2名が死亡、1名が重傷を負う事件が起きた。
 事件から1年が経過するが、事件がなぜ起きたのか、未だに真相は見えてこない。元自衛官候補生の父親によれば、息子の自衛隊への期待は相当高かったという。自衛官を目指すようになったのは父親の影響が大きく、息子は少なからず国を守るという使命を持っていたと話す。元候補生が入隊前、「戦争モノ」の漫画やゲームに傾倒していたと報じたメディアもあったが、様々なジャンルを好んでおり、とりわけ戦争モノを好んだという報道には違和感を示す。
 夢と希望を持って入った自衛隊だったが、父親は入隊後、息子から「自衛隊はゴミだ……」と周囲の意識の低さに失望したという発言を聞いていた。いずれにせよ、事件の進展は伝えられておらず、家族としては、亡くなられた方々の冥福を祈ることしかできない状況にある。
親が追い詰められるのは日本だけ
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 事件後、家族の住む自宅には報道陣が詰めかけ、父親は失業に追い込まれた。NPO法人WorldOpenHeartの調査によれば、加害者家族から寄せられる相談で最も多い続柄が「父親」であり、仕事を続けてよいのか悩むケースが多い。
 本件同様に複数の死者を出したある重大事件の犯人の父親もまた、事件の影響で辞職せざるを得なかったが、筆者が復帰を勧め仕事を再開した。社会復帰を批判するメディアもあったが、加害者家族には公的な支援制度はなく、自力で生活していかなければならない。父親たちの失業によって、兄弟が進学を諦めなければならなくなるケースも多く、責任のない家族にまで影響が及んでいる。
 自ら命を絶つケースが多いのも「父親」である。1988年に起きた「東京・埼玉連続幼女誘拐殺害事件」の犯人の父親は投身自殺を図って亡くなっており、2014年に起きた佐世保同級生殺害事件の犯人の父親の自殺が報道されている。公にはならなくとも、仕事を失い、生活が立ち行かなくなった末の父親による自殺は後を絶たない。
日本特有の問題
 『加害者家族バッシング―世間学から考える』(現代書館、2020)の著者である佐藤直樹氏は、親が自殺にまで追いつめられる現象は、海外とくに西欧諸国では見られず、この国特有の問題だと指摘している。
 実際、家族と個人が区別されている西欧諸国では、罪はあくまで罪を犯した者が負うべきものであって、たとえ未成年者の親であっても、仕事を辞めなければならない状況にはならない。そもそも、親が仕事を辞めたからといって、加害者が更生するわけではない。むしろ、家族が経済力を失うことによって賠償の支払いや更生の環境も用意できなくなるのである。
 事件後、家族に謝罪会見を求めるメディアもあるが、こうした家族による謝罪会見もまた日本特有の現象であり、海外からは異様な光景に写っていることも頭に入れておくべきであろう。たいてい家族の下にメディアが殺到するのは事件直後であり、家族として事件の詳細が把握できているケースはそう多くはないはずである。
 家族に質問を向ける大義として、メディアは真相究明を主張するが、そうであるならばコメントを急かす必要はないはずである。ところが判決後、全容が明らかとなった頃には世間の関心は他の事件に移っており、この時期には耳を貸さないのである。謝罪会見は、惨事が発生した際、世間の処罰感情を鎮めるための儀式のようなものであり、多くの加害者家族は無責任な報道の犠牲となってきた。
事件は家庭ではなく自衛隊で起きている
 幼い頃からの夢を叶えたはずの息子が三カ月後、なぜあのような惨劇を起こすに至ったのか、家族はその真相が明らかとなることを願っている。自衛隊という高い壁に阻まれ、うやむやにされることのないよう、メディアには権力監視の役割を発揮して欲しい。
 
阿部 恭子(NPO法人World Open Heart理事長)